冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「葛城(かづらき)」 大和舞 その1(京都観世会館1月例会)

   休憩を挟んで、「葛城」です。あらすじを当日のチラシから紹介します。一部、文言を書き加えたり改行したりしています。

 出羽の羽黒山から来た山伏が大和国葛城山に入り、吹雪に遭う。すると一人の里の女が山伏に声をかけ、(谷底の)庵に案内する。この葛城山の雪の中で集めて束にした木々のことを「しもと」と呼ぶと教え、それを解き、火に炊いてもてなす。

 やがて山伏が後夜の勤めを始めようとすると、女は加持をして自分の苦しみを助けてくれと頼む。明王の策で身を縛められているという。女は、実は葛城の神であり、昔、役行者に命ぜられた岩橋を架けられなかったことを明かして消え失せる。

    中入

 その後山伏は里の者と出会い、昔、役行者が葛城の神に岩橋を架けることを命じたが、神は自分の姿が醜いのを恥じ、夜しか仕事をしなかったため橋が架からず、役行者の怒りを買い、蔦葛で縛められたのだという話を聞く。

 夜、山伏が祈祷していると、その法味に引かれて葛城の神が現れる。策により縛められた身も修法により解け、「高間の原はこれ」ぞと大和舞を舞う。そしてまた「明けぬ先に」と葛城の神は夜が明けぬ先に岩戸の中に消えてゆく(夜が明けると自分の醜い容貌を見られてしまうからです)。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 前もってこのあらすじを読んで、なんで神様が人間である役行者に橋を架けることを命令されたり、それをやり遂げられなかったからと罰を受けたりするの? なんで神様が自分の容貌の醜さを恥じたりするの? と疑問だらけでした。「ツタカズラに縛られて苦しむ」なんて、なんだかSMぽいですし。

 元々の伝説では、神は一言主(ひとことぬし)という男性の神様で、醜い容貌を恥じて夜しか仕事をせず役行者に縛られて谷底に落とされたのは同じですが、それを恨みに思って朝廷に「小角は葛城山に兵を集めて天皇を殺す計画を立てている」と訴えたので、小角は伊豆へ流島にされたのだそうです。男神でも容貌の醜さを恥じるところは同じだったらしい。でも、復讐するところが違います。

 ある能楽師さんがブログでこのシテを演じるに当たり、私と同じような疑問を抱いて、どう演じればいいのか悩んでいたところ、先輩の能楽師さんから「能は理屈で考えないで、もっとおおらかに全体をとらえた方がいい」と言われたとか。それを読んで、なるほど、そういうものなのかと考え直して拝見しましたら、とても美しく、音楽的にも心地よくて、幸福感に浸れる曲でした。

 長くなりましたので続きは次の記事に書きます。

 

能「鶴亀」(京都観世会館1月例会)

  「翁」に続いて「鶴亀」が上演されました。題からわかるとおり、祝儀の曲です。あらすじと解説を当日のチラシからお借りします。

 新春、中国の王宮では群臣が皇帝の前に集い、節会が行われる。まず官人が口開きをし、荘重な囃子(真之来序)で皇帝が現れ、玉座に座る。臣下がめでたさを讃えると、鶴と亀が現れ、皇帝に長寿を捧げる。皇帝も御感の余り、自ら舞を舞い、輿に乗って長生殿に還御となる。

 「翁」に続く脇能は、「高砂」のように神が姿を現す曲が多いが、この「鶴亀」は、「西王母」や「東方朔」と同様、大宮の中の皇帝のもとに、鶴と亀とが現れ、祝福を与える形をとる。芸態的に古いものと思われる。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 シテ(皇帝)は大江又三郎さん。高齢で大柄の能楽師さんで、威厳が感じられます。シテには珍しく直面(ひためん。面を着けない状態)なのですが、違和感なく拝見できました。鶴(宮本茂樹さん)は黒頭、朱の大口(袴)、小豆色地に草花文様の小袖(かな?装束の名前はまだ正確に知りません)。亀(松野浩行さん)は白頭、白い大口、白地に金?銀かな?で文様を織り出した小袖。面は鶴は若い女性で亀は老女。全体の様子からも鶴は若い女性、亀は老女を表しているようです。二人が相舞する場面はとりわけきれいでした。

 ワキの大臣は福王和幸さん。小顔で長身のイケメンです。この方が登場すると私はいつも「9頭身?10頭身かな?」などと考えてしまいます。装束は白い大口、黒地に金で松竹梅を織り出した直垂?直衣? 大きな袖の縁には赤い紐が通っていて、鮮やかなアクセントになっています。襟元にもちらりと赤い色が見えて、惚れ惚れするほどセンスの良い颯爽とした出で立ちでした。ワキツレ(従臣)のお二人は高齢の方々で二人同じ装束でした。

 囃子方は、「翁」が終わったとき小鼓の脇のお二人が退場されました。太鼓の井上啓介さんは「翁」の間ずっと大鼓のやや後ろで隠れるように控えておられ、演奏がなかったのですが、この曲でお囃子に加わりました。地謡の8人の方々は「翁」では舞台正面、囃子方の奥に並んでいましたが、この曲で常の地謡の座に移動されました。地謡囃子方の奥に並ぶのは「翁」だけの決まりなのです。

 初めて見たこの「鶴亀」、わかりやすい内容で目にも耳にも心地良く、幸せな気分にさせていただきました。

 この後、狂言「筑紫奥」。3人の登場人物(茂山あきらさん、茂山千五郎さん、茂山七五三さん)が正面に並んで大笑いをするラストはまさに「笑う門には福来る」です。私も思わず笑顔になりました。とりわけ茂山七五三さんはそれまでほとんどずっと仏頂面をしている役なので、ここでの笑顔がいっそう引き立って見えました。これ以上はないと思えるほどの満面の笑顔から「福」をいただいた気がします。

 休憩を挟んで能「葛城(かづらき)」です。次の記事に続きます。

能「翁」「鶴亀」「葛城」「小鍛冶」を見ました(京都観世会館)

 10日(日)、今年初めて能を見ました。京都観世会の1月例会です。一番の目的は「翁」を見ることでした。

 この数年はいつも1月4日に大阪の大槻能楽堂で大槻文藏さんの「翁」を拝見してきました。ところが今年は新型コロナの関係で公演が行われなかったのです。

 大槻能楽堂は昨春、コロナが流行り始めた時期に令和2年度(2年の4月から3年の3月末まで)の主催公演をすべて中止すると決めていました。観客がコロナに感染しないように、というのが第一だったでしょうが、東京方面から招く能楽師さんがかなりおられ、高齢の方々でもあり健康が懸念されることも理由として挙げられていました。それに、1年度から始まった大掛かりな改装工事がまだ終わっていなかったのです。

 そんなわけで、今年は「翁」を見られないお正月になるのかなあと寂しく思っていたところ、京都観世会館でこの公演が催されることを知り、チケットを取ったというわけです。

 「翁」は能というより神事に近い芸能です。揚幕の内側で火打石を打つカチカチという音が聞こえたかと思うと、幕の端から手が差し出され、橋掛かりに向けてまた火打石を打ちます。そのとき、火花が散ったのがよく見えました。

  翁の面を入れた箱を恭しく捧げもつ面箱、翁を演じる翁太夫(舞台上で翁の面を着けるまでは直面、ひためんです)が厳かにゆっくりと橋掛りを歩み、舞台に立ちます。千歳(せんざい)、三番三(さんばそう)、囃子方が続きます。

 翁は正先(しょうさき。舞台正面、中央のヘリぎわ)に座り、深々と礼をします。頭につけている冠の先が床に触れるまで頭を垂れるのです。その後、向かって右手のやや奥のあたりの定座に座ります。今回、翁大夫を勤めたのは片山九郎右衛門さんです。

 面箱は茂山虎真さん。初めてお見かけする方でした。見るからにまだ少年。この役を勤めるのは初めてだったかもしれません。緊張しているのが伝わってきました。でも、後の方で三番三とやりとりする場面で朗々と響く声を聞かせてもらいました。千歳は片山峻佑さん。この方も初めて拝見しました。少年と青年の中ほどのお年頃に見えました。三番三は茂山千之丞さんでした。

 九郎右衛門さんの翁には品格と威厳が感じられました。それにこの方の声は独特なのです。少しかすれたような部分と濃密な部分が混ざり合っているような感じ。味わいが深くて私は大好きです。髪が黒々としておられるので、あまり老人には見えませんでしたが…。

 千之丞さんもまだ30代の狂言師です。以前は茂山童司というお名前だったようです。私は前の千作さんや千之丞さんのお顔はよく覚えているのですが、二人とも高齢で亡くなられ、その後、その名前を襲名された方々のことはまだよく知らないのです。この若い千之丞さんの三番三は、庶民的で親近感が感じられました。野村萬斎さんの三番三のような洗練されたかっこよさはないのですが、ご自分の持ち味を生かした三番三なのでしょう。この三番三もいいなあと思いました。

 お囃子も素晴らしくて気持ちが盛り上がりました。小鼓の頭取は林吉兵衛さん。脇は林大和さんと林大輝さん。大鼓は谷口正壽さん(とりわけ良かった)。笛は最近、私がいいなと思っている左鴻泰弘さんでした。

 翁が登場する「翁ワタリ」から退場する「翁ガエリ」までの間、会場のドアは閉ざされ、途中入場はできません。観客席も厳粛な空気に包まれます。

 翁が退場した後、三番三の舞「揉の段」では緊張はややほどけます。続く「鈴の段」では三番三が「黒式尉(こくしきじょう)という面を着けます。翁面は「白式尉」。この二つはいわばセットなのでしょう。黒式尉の面を着けた三番三は人ではなくなるので、鈴を降って種を蒔くような所作や四方を浄めるような所作に「神性」の気配が感じられました。

 今では「翁」を見ないと年が明けたという気分になれなくなっています。今年も年初に質の高い「翁」を拝見することができて、心身を清めていただいた気がしました。ほかの曲については記事を改めます。

 

 

テレビで見た映画「シャーロック・ホームズ最後の事件」

  ホームズものは怖いことも多いので、どうしようかな? と迷いながら録画したこの映画、秀作でした。2016年に公開された作品だそうです。

 ホームズは93歳(!)。引退して30年になります。地方の緑ゆたかな土地で古い館に住み、病を抱えながら養蜂を趣味として暮らしています。記憶力は衰え、歩行もおぼつかない状態。同居しているのは家政婦とその息子です。家政婦は無学文盲ではありますが仕事はきっちりできるしっかり者。10歳の息子は怜悧で、ホームズのお気に入りです。

 30年前、ホームズが引退するきっかけになった事件がありました。相棒のワトソン(すでに亡くなっています)が書いた記録があるのですが、ホームズはそれを「事実と違う」と考えています。ワトソンが自分を傷つけないように書いたのだと。

 ホームズはその事件の全容を自分で書きたいのですが、記憶力の衰えた頭ではなかなか思い出せません。それでも、少年の励ましもあって、1枚の古い写真を手がかりに少しずつ記憶を手繰り寄せて行きます。やがてその事件の全容と結末が明らかに…。一方、家政婦は気難しく世話のしにくいホームズを見限って、遠方に職を求めようと行動し始めます。

 ホームズの90代の今と30年前の回想シーンを行き来しながら物語が進んで行きます。

 ラストでホームズはこれまで貫いて来た自分の生き方は正しかったのかと自問するに至ります。そのきっかけを与えるのは二人の女性です。最晩年になってこんな思いを抱くのはホームズにはとても辛いことでしょうが、見ていてそれほど辛そうには感じられません。その訳は、ネタバレになってしまうので書けませんが…。家政婦がどうしてホームズに対してそっけない態度で接してきたのかも、見終わってからよく理解できました。

 ホームズを演じたのはイアン・マッケラン。ネットで調べたら、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでアカデミー賞にノミネートされた俳優さんだそうですが、私はそのシリーズを見ていないので、今まで知らなかった人でした。監督はビル・コンドン。こちらも調べてみると、多数の作品を送り出している人でした。その中で私が見た映画は「シカゴ」(02年、脚本を担当)「ドリーム・ガールズ」(06年、監督)。女性を描くのが上手な人だという気がします。

 一連の「ホームズもの」とはまったく異なる映画でした。老いと向き合うホームズがとても人間的に感じられ、切ないほど共感できました。緑に覆われた風景、古い館、海で遊ぶホームズと少年。30年前の世界(日本を訪れる場面もあります。真田広之が重要な役を演じています)。どれもとても美しい。映画館のスクリーンで見たらどんなにきれいだったろうと思うと、見逃したのが残念です。リバイバル上映があれば、ぜひ映画館で見たい映画です。

 

年始のテレビ番組

 年明けに見たテレビ番組で一番興味深かったのは、1月2日にNHKで放送された「100分de萩尾望都」です。

 萩尾望都の作品は「トーマの心臓」「ポーの一族」「11人いる!」など読んだことがあるのですが、絵の美しさと不思議な雰囲気に心を引かれながらも、意味がよくわからない状態で終わっていました。この番組では熱烈な萩尾ファンの4人の方(山崎マリと夢枕獏、ほかの二人は知らない方でした)がイチオシの作品を解説していきました。テレビドラマで見た「イグアナの娘」が母娘問題を取り上げた先駆的な作品だったなんて知らなかった! 主人公を演じた菅野美穂の顔が「そういえばイグアナに似てるな」と思ったことだけよく覚えている私です。「トーマの心臓」も「ポーの一族」も、私は何にもわかっていなかったということがよくわかりました。

 もう一つはEテレで5日の22時50分から放送された「ヒャダ[E:#x2716]️体育のワンルームミュージック」。音楽プロデューサーのヒャダインとアーティストの岡崎体育がMCを務めています。楽器も弾けずコードも知らず楽譜も読めない若い人たちが自分の部屋でノートパソコン1台だけをツールとして音楽を生み出していく。今、それが音楽の世界で新しい動きになっているようです。実際にその方法で楽曲を作りネットで公開して大ヒットした人たちを取り上げています。MCの二人も「ワンルームミュージック」を実践してきたので、音楽ソフトを使いこなす技を伝授したりもします。

 ヒャダインは、ずっと見ている音楽番組「関ジャム」(テレビ朝日、日曜深夜)に何度も登場している人です。岡崎体育は朝ドラ「まんぷく」でGHQの米兵チャーリーを演じているのを見たとき「あの人はだれ?」と気になって、本業はアーティストと知りました。その頃は京都府宇治市の実家の狭い部屋でごく質素な機材を使って作詞作曲していました。埼玉アリーナでの公演が成功するなど出世(?)して今は東京近辺に住み、幅広く活動しているようです。二人とも関西人なので、話し言葉に親近感を覚えます。

 この番組開始に先立って1月3日に放送された「スタートアップ」編ではアメリカのビリー・アイリッシュという10代の女性アーティストが紹介され、本人からコメントも寄せられていました。この人も自宅で兄と二人で楽曲を作り、昨年、グラミー賞を5部門も受賞したそうです(グラミー賞史上、最年少の受賞者)。インタビューに答えるビリー・アイリッシュの様子がとてもカッコよかった!

 パソコンで気軽に音楽を作ることをD.T.M(デスク・トップ・ミュージック)というのだそう。DTPなら知っていますが、DTMなんて言葉は初めて聞きました。実際にパソコンで音楽を作っていく過程が見られます。私には理解しきれないのですが、それでもなんだか面白いのです。

 音楽系の番組が好きで「らららクラシック」や「駅ピアノ」も見ていますが、また一つ、毎週録画して見たい番組が増えました。

 

 

片岡松十郎さん出演の動画です

「晴(そら)の会トークイベント」 ダイジェスト版の動画。メンバー8人の自己紹介です。松十郎さんはトリです。

舞踊「八島」 のお稽古とリハーサルの動画。リハーサル時の黒紋付・袴姿が凛々しい。

松十郎さん、この時は既に減量成功後だったのか、お顔は「おちょやん」出演のときと変わりません。

片岡松十郎さん情報

 朝ドラ「おちょやん」で注目を集めた片岡松十郎さんについての情報です。

 年齢は45歳。身長は176cmと長身です。朝ドラ出演の話を聞いたのは2019年12月。それまで朝ドラを見たことがなかったので、「スカーレット」と「エール」をずっと見て、「朝ドラって面白い」「役者さんがみんなうまい」と感じたそうです。

 病気を抱えている役なので体重を減らしたほうがいいと思い、好きなお酒を毎日350mlの缶ビール1本だけにし、夜中に毎日4.5km走って、10キロ弱、減量したんですって。ということは、普段はもっとふっくらしているのかな。

 上方歌舞伎塾1期生の3人(松十郎さん、千次郎さん、千壽さん)で2015年、「晴(そら)の会」を立ち上げ、片岡秀太郎さん(人間国宝)の監修で年に1回、公演を行なっています。今年も8月に公演があったようです。

 「おちょやん」出演以来、ネットで評判になっていることはご本人はちっとも知らないのだそう。携帯もガラケーを使っているほどで、SNSには全く興味がなくて、見る機会がないのだそうです。

 篠原涼子の相手役をすると聞いたときには仰天して「僕でいいのか」と思ったとのこと。そりゃあそうでしょうね。でも、お似合いのカップルに見えましたよね。

 

朝ドラ「おちょやん」

 放送が始まった朝ドラの「おちょやん」。最初の方は子役のうまさに舌を巻きつつ、主人公を取り巻く環境が悲惨すぎて見ているのが辛くなり、とびとびにしか見ませんでした。主役が杉咲花に変わってからは、安心して面白く見ています。

 歌舞伎「夏祭浪花鑑」の「長町裏の場」、通称「泥場」が演じられたシーンにはワクワクしました。劇中劇の主役の団七九郎兵衛を演じる役者(早川延四郎)が篠原涼子演じる芝居茶屋の女将の元カレだったという設定でした。片岡仁左衛門さんが監修をなさっているし、この役者役の方が「片岡松十郎」というお名前だったので、今まで知らなかったお名前ですが、きっと片岡家一門の脇で活躍している方なんだろうなと想像していました。なかなかの二枚目だし、演技もしっかりしています。団七に殺される舅・義平次役は片岡千次郎さんで、この方のお名前は知っていました。

 調べてみると、二人とも松竹が開いた「上方歌舞伎塾」の1期生なのだそう。上方歌舞伎塾卒業生の中心メンバーとして公演もなさっているようです。この朝ドラで一気に知名度が上がったので、これから活躍の場が広がるかもしれません。

 芝居小屋のセットは兵庫県出石市にある「永楽館」そっくりに建てられていたそうです。永楽館といえば片岡愛之助が今ほど有名でない頃、毎年「永楽館歌舞伎」を上演していた会場で、私も一度、観劇に行ったことがあります。あの公演は今も続いているのかなあ。

 主役の杉咲花は10代の頃から活躍している俳優さんです。演技力はピカイチ。「夜行観覧車」(TBS、2013年)で家庭内暴力に荒れ狂う中学生を演じたのが強く印象に残っています。母親役は鈴木京香でした。

 篠原涼子はしばらく見ないうちに少し太ったので、女将さん役にぴったりなのですが、台詞回しが一本調子で前より演技が下手になったように思えます。方言の習得に苦戦しているのかな? と想像したりしています。父親役のトータス松本、ここまで救いようのないアル中のダメおやじを上手に演じてしまって、人気に影響が出ないだろうかと他人事ながら心配になってしまいます。

 義母役を演じていた宮澤エマは、元総理・宮沢喜一の孫なんだそうです。これまでミュージカルで活躍していて、ドラマ出演はほとんど初めてなのに、憎まれ役を巧みに演じて、今後演じる役どころに良くない影響が出ないだろうか? と、あるブロガーさんが気にしていました。

 脚本は八津弘幸池井戸潤原作のドラマをいくつも手がけてきたヒットメーカーですから、面白くならないはずがありません。最近は朝ドラ離れしていた私ですが、今回のドラマは目が離せなくなりそうです。

『寝る前に読む一句、二句 〜クスリと笑える、17音の物語』(ワニブックス)

 しばらく更新をサボっていたら、広告が増えて驚いています。読者の方のパソコンやスマホの画面から見ても、広告が増えているのでしょうか。広告なしのプラン(有料)に変えようと思ったりもしたのですが、調べてみると一番安い有料プランでは、パソコンで見るときは広告が入らないけど、スマホだと表示されるのだそうです。それじゃあ半分しか意味がないような気がして、思案中です。

 それはさておき。1週間ほど前、何気なく本棚を眺めていて、表題の本を見つけたのです。いつ買ったのか、まったく記憶がない! 近頃はこんなことがよくあるので、あまり動揺しないことにして、読み始めると、これがとびっきり面白いのです。

 著者は、テレビの「プレバト!」でおなじみの俳人、夏井いつきさんと、妹のローゼン千津さん。ツーショット写真が載っているのですが、顔はちっとも似ていません。でも、個性的でかなり変わっているところは「この姉にしてこの妹あり」です。

 夏井いつきさんにローゼン千津さんという妹さんがおられることは、この本で初めて知りました。プロフィールの部分を紹介します。

 愛媛県生まれ。大阪芸術大学舞台芸術科卒業。いつき組(注:夏井いつきさんが「組長」として主宰している俳句集団)俳人。平成元年、黒田杏子(ももこ)先生の藍生(あおい)俳句会に入門し、俳句を始める。ニューヨークで十年余り育児を楽しみ、平成23年帰国後、姉いつきの紹介で、「俳句を作りながら俳都松山を歩く」ガイドになる。55歳の誕生日に、英語と日本語の句集『55』を上梓。現在、アメリカ人チェリストの夫ニックと山中湖村在住、演奏旅行の付人として世界を回っている。

 これを読んだだけでもそうとう個性的で「変わった」人物像が想像できます。そして姉妹ともに、子ども二人を抱えての熟年再婚経験者なのだそうです。

 この二人が30の俳句を選び、それぞれについて対談する、というのがこの本の内容です。句については、わかりやすい解説がついているので、俳句初心者でも楽しめます。私がとりわけ印象に残った句は

  サルビアを咲かせ老後の無計画   菖蒲あや

  親芋の小芋にさとす章魚(たこ)のこと  フクスケ

  来ればすぐ帰る話やつりしのぶ   西村和子

  北窓開くお前とは別れたい     如月真菜

  犬入院猫退院の月夜かな      波多野爽波

  それは少し無理空蝉に入るのは   正木ゆう子

などです。句の後の対談は抱腹絶倒だったり、しみじみと深かったり。二人の子どもの頃からの性格や生きてきた道筋が散りばめられて興味深く、句から広がっていく世界はとてもユニークで、読んでいてウキウキしました。

 カルチャーセンターの初心者向け俳句講座をやめてから、俳句は一句も詠めていない私ですが、久しぶりに「やっぱり俳句っていいなあ」「また俳句を詠みたいなあ」という気持ちが沸き起こってきました。

 

能「唐船」を見ました(京都観世会館) 続き

 シテ、つまり主人公が日本人ではなく、捕虜として捕らえられ日本で働かされている外国人という設定がとても珍しいです。こんな例をほかには知りません。とはいえ、描かれている祖慶官人と子どもたちの気持ちや、箱崎の某が親子の情愛に心を動かされる結末には普遍性を感じました。

  この「唐船」は上演回数の少ない曲です。子方(子どもが扮する役)が4人そろわないと上演できず、4人そろうというのがなかなか難しいからだそうです。

 今回の子方は唐子(年長の子どもたち)を味方玄さんの二人のお嬢さんが、日本子を玄さんの弟で同じくシテ方能楽師の味方團(まどか)さんの二人の息子さんが演じられました。皆さん、堂々としていて、よく通るきれいな声なので感心しました。玄さんと團さん兄弟もこの曲の子方を演じた経験があるのだそうです。

 ほかに、すぐ目につく特徴は、船を表す大きな作り物が出ることです。船の形をした大きな枠で、船頭役の狂言方が運びます。帆柱も備えていて、二度ほど帆を上げました。終盤、この船の舳先に祖慶官人が立ち、その後ろに日本子二人、さらに後ろに唐子二人が並んで座っているありさまは壮観と言っていいほどでした。唐子の影に隠れて見えませんが、最後尾には船頭もいます。

 「唐土(もろこし)」というのは歴史上の「唐」を指すのではなくて、漠然と近隣の外国という意味のようです。朝鮮半島や大陸からやってきた人々が日本の(主に九州北部の)海岸を荒らしたり、逆に日本の倭寇(わこう)が大陸の海岸を荒らしたりしていた実情が反映しているようです。

 初めは日本子の帰国を許さなかった箱崎の某が親子の悲しみにくれる様子を見て心を動かされ、最後には許しを与えます。祖慶官人が望みを叶えて子どもたち4人と祖国へ帰っていくというハッピーエンドなので、めでたい曲です。ただ、ふと日本の妻はどうなったんだろう? と思ってしまいました。

 船頭役の狂言方が中国語っぽい奇妙な言葉を話すのも気になりました。中国語の特徴を強調してそれらしく聞かせるような言葉で、おかしみがあってつい笑ってしまうのですが、中国人の方が聞いたら不愉快だろうなと想像しました。

 この日、シテの祖慶官人が登場する前の間合いが長くて、「どうしたんだろう? 何かあったのかな?」と訝しく思いました。考えてみると、ここはお囃子が入って、それをきっかけとしてシテが揚幕から出てくるはずなのに、お囃子が始まらなかったのです。お囃子の皮切りは笛で、杉市和さんです。演奏を忘れるなんて考えられません。

 ところがようやくお囃子が始まってシテが登場した後、地頭の片山九郎右衛門さんが切戸口から出て行き、しばらくして戻ってこられたのです。地謡が途中で退座するというのも珍しいことです。そのあと、市和さんの子息、信太朗さんが切戸口から出てきて市和さんの後ろに座られました。この一連の様子から私は「杉市和さん、体調が悪いのでは?」と考えました。でも結局、市和さんは最後まで舞台を勤められ、何もなかったように退場されました。何が起きたのかはわからずじまいです。

能「唐船」を見ました(京都観世会館)

   7日(土)に京都観世会館で能「唐船」を見ました。シテ方能楽師、味方玄(しずか)さんが主宰する「テアトル・ノウ」の公演です。

 内容は一風、変わっていました。以下、あらすじを当日のチラシから引用します。

 日本と唐土との船の争いがあり、唐土の祖慶官人(そけいかんにん)は日本の箱崎の何某(ワキ)に捕らわれの身となり、はや13年になる。数々の牛馬を追う下働きをさせられ、今日も日本で生まれた子どもたち(日本子。年下の子方)と共に、鞭、縄を持って帰路についている。

 帆船に数々の宝物を積み、唐子(年上の子方)がはるばる日本に渡ってくる。祖慶官人が唐で生き別れた子のソンシ・ソイウ兄弟である。父・祖慶官人がまだ日本で行きているならば、宝物と引き換えに父を船に乗せて連れて帰ろうというのだ。

 箱崎の何某と対面した二人は父が存命の由をきく。なんでも仏詣のため外出しているという(箱崎の武士の情けか、牛馬を追わせているとは明かさない)。やがて帰った祖慶官人は箱崎から、唐子たちとの対面を許され、喜びの再会となる。折しも追い風が吹き、唐子たちは父に帰国を促す。祖慶官人と唐子たちに続き日本子たちも乗船しようとすると、箱崎は「日本で生まれた者ゆえ、この後も召し使う」と許さない。帰ろうとする唐子、引き留める日本子、中にはさまれて進退きわまった祖慶官人は、巌に上がり身投げしようとする。四人の子どもたちは左右から取りすがり涙を流すと、祖慶官人も力なく倒れ泣き伏してしまう。

 さすがにあわれに感じた箱崎は日本子にも乗船を許す。夢かとばかり喜ぶ祖慶官人は四人の子を伴って船に乗り、楽を奏で喜びの舞を舞う。船子が揚げた帆に風をいっぱいに受けた唐船は、まっすぐな航跡を残し唐土に向かうのであった。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 

 シテの祖慶官人は味方玄さん、ワキの箱崎の何某は福王知登さん。日本子(年齢の大きい子どもたち)を味方玄さんの娘さん二人、唐子(年齢の幼い子どもたち)を味方玄さんの甥っ子さんたちが勤めました。囃子方は大鼓・河村大、小鼓・吉阪一郎、太鼓・前川光長、笛・杉市和の皆さん。地頭は片山九郎右衛門さんでした。

 長くなりましたので、感想は次の記事に書きます。

 

 

 

 

山崎育三郎の歌声

   朝ドラの「エール」、ほとんど見ていなかったのですが、終盤になってときどき見るようになり、山崎育三郎が歌う場面で深い感動を味わいました。この人が声も美しく表現力の豊かな歌い手だということは前から知っていましたが、今回改めて「素晴らしい」と感じたのです。

 ところが「あさイチ」や「SONGS」に登場して歌っているのを聞くと、同じ歌でも「エール」の時ほどには心を動かされないのです。やはりミュージカル俳優だけに、演技が伴って初めてその魅力が最大限に生かされるのでしょう。

 「SONGS」では森山直太朗との共演で、「さくら」を代わる代わる歌ったりしていました。山崎育三郎は感情移入たっぷりな感じ。森山直太朗はあっさりとした歌い方です。聞き比べて、この歌は森山直太朗の歌い方の方が好きだなと思いました。

 山崎育三郎の魅力が存分に楽しめるのはミュージカルの生の舞台なのでしょう。でも、こんなに有名になってしまったのでは、チケットは発売即完売でしょうね。

久しぶりに能を見ました 「猩々乱」「山姥」(京都観世会館)

 コロナで一切の舞台公演が中止されて、大好きなお能文楽も生の舞台が見られない日々が続いていましたが、25日(日)、ようやくお能の公演を拝見することができました。会場は京都観世会館、第62回京都観世能です。この日の公演は2部制になっており(コロナ対策なのでしょう)、私が見たのは10時開演の第1部です。

 上演された能の曲は「猩々乱(しょうじょうみだれ)」と「山姥(やまんば)」。どちらも以前から見たいと思っていました。最初に演じられた「猩々乱」がとても楽しく、めでたい雰囲気にあふれ、大好きな曲になりました。当日のチラシからあらすじを紹介します(長いので省略して書きます)。

 昔の中国のお話。高風(こうふう)という親孝行の男がある夜、市で酒を売れば富を得られるという 、不思議な夢を見る。その通りにすると、次第に富貴の身となった。市ごとに来ては酒を飲む者がいて、どれだけ飲んでも顔色一つ変わらない。名前を尋ねると「海中に住む猩々」と答えた(注・海というのは揚子江のことだそうです)。

 秋の月の美しい夜、高風は酒壺に酒を満たして海のそばで猩々を待った。猩々が海から浮かび上がり、酒を飲む。月や星の美しさを愛で、芦の葉の笛を吹き、波の鼓の音楽に合わせて舞う。そして高風の孝心を讃え、汲めども尽きせぬ泉の酒壺を与えて帰ってゆく。

・・・・・・・ここまで・・・・・・

 今回はもともと「猩々」という演目に「乱」が付き、「置壺」「双之舞」という小書(こがき。特殊演出のこと)が付いていました。これもチラシの解説から引用すると、

 常は「中之舞」を舞うところを「乱」と称する特殊な舞を舞う。囃子は緩急自在に秘術を尽くし、シテ はすり足を用いず、水を蹴り、波間を流れ、浮きつ沈みつ舞い戯れる。「置壺」は、常は出されない酒壺の作り物が正先(しょうさき。舞台正面中央の客席に一番近いあたり)に据えられ、酒友の心を具象化する。「双の舞」は二人の猩々が現れる演出で、楽しさも倍増する。祝言と音楽と舞をもって、万民の安寧を願う祈りの曲である。

・・・・・・・ここまで・・・・・・

 猩々というのは架空の生き物です。二人の猩々を片山九郎右衛門さんと味方玄さんが務められました。赤頭(あかがしら。赤い毛のかぶりもの)を着け、面は童子のような表情。お二人ともなぜか小柄に見えました。前に見た「二人静」の時と同じようにお二人の呼吸がぴたりと合っていて見事です。波打ち際をつつつ…と弧を描いて横へ移動する足使い(「屋島」で見たことがあります)など、躍動感が感じられました。謡の内容がわかりやすく、話もシンプルなので、すっとその世界に溶け込んでいけました。そして、見終えた後にほんわかと気持ちの良い余韻が残りました。

 ユーチューブで猩々が7人も登場するバージョン

 を見つけました(宝生流)。「乱」が付いていないので、仕舞は地味です。

 もう一つの「山姥」も楽しみにしていたのですが、ほとんど眠ってしまい、よくわからずじまい。左鴻泰弘さんの笛がとても素晴らしくて、深山の一隅を照らす月が鮮やかに目に浮かんだことだけ、はっきりと覚えています。

 この秋は文楽の公演もようやく再開されます。東京では9月に公演が行われたのですが、本拠地の大阪では10月末から始まります。やっと、やっと文楽が見られる、義太夫が聴けると思うとうれしくてたまりません。

 

上高地〜(紅葉の)涸沢カールに行きました その3

 3日目。朝からよく晴れています。地形の関係で、ご来光は拝めません。その代わりに「モルゲンロート」という現象を見ることができました。山の斜面が朝焼けに照らされてバラ色に輝くのです。じっと待っていると、次第に色が濃くなり、

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 やがて消えて行きました。写真はクリックすると拡大します。

 この日は1日目と2日目で歩いてきた道を一気に引き返します。途中、足を滑らせて転んだ人がいましたが、怪我はしなかったようです。昨日よりも登山者が多くて、何度もすれ違い、道を譲ったり譲られたりしました。やや急な下り道を横尾まで下りて、ほっと一息。

 横尾から徳澤ロッジまでは各自、自分のペースで歩くことになりました。緑に覆われた散歩道。

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 眼に映るものすべてが美しくて、何度も立ち止まって写真を撮りました。屏風岩も青空に映えて、昨日よりすっきりときれいに見えます。

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 おかげで徳澤ロッジ到着は一番遅いグループの一人になりました。

 先に着いたスタッフさんがロッジに預けてあった荷物を引き取ってくださっていたので、自分の分を受け取ります。ここから上高地のバスターミナルまでは2時間余りの自由行動。昼ごはんもめいめい食べます。

 私は1日目からときどきお話ししていた女性と二人で明神までゆっくり歩きました。私はこのときはまだ足も体も疲れておらず、余裕があったのですが、この方がお疲れ気味だったので、歩調を合わせました。おかげで山の景色を楽しみながら歩くことができました。

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 明神でこの方と別れ、私は穂高神社にある明神池に行ってみることにしました。ずっと昔、家族で上高地に来たときも、ここまでは来なかったのです。ガイドさんが「右岸ルートもいいので、時間があればぜひ行ってみてください」と言っていたので、歩いてみたいと思ったのです。

 明神には「穂高奥宮」の柱が建っています。この奥に、鳥居や社殿があり、拝観料300円を払って入らせていただきます。

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 明神池は二つありました。高地の池にふさわしいひっそりと神秘的な風情です。

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 穂高神社を後にして、右岸ルートを河童橋へと下ります。この道の素晴らしかったこと!

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 木道が続いたり、階段もあり、平坦なところもあり、変化に富んでいます。樹林の合間を縫って歩いて行くので、木漏れ日が美しく、空気が爽やかです。

 こんな池もありました。

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 一瞬、大正池? と思ってしまいましたが、大正池はバスターミナルより南にあるので、勘違いでした。

 左岸ルートだと1時間ほどで河童橋に着きますが、右岸ルートは1時間半くらいかかります。でも、その行程がずっと快適でした。右岸ルートを歩いてみてよかった! 「上高地に行ったら右岸ルートを歩かないと意味がない」とまで思いました。

 河童橋からの眺め。

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 右岸ルートを急ぎ足で歩いたので、一気に筋肉痛になってしまいました。帰りに平湯温泉の日帰り入浴できる施設に寄って汗を流し、

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 さっぱりして帰途に就きました。

 今回のまとめ。涸沢カールの紅葉を見るのが目的の一つでしたが、まだ三分ほどでした。紅葉の盛りは短いので、タイミングを合わせるのは難しそうです。それよりも、涸沢カールそのものが、私の抱いていたイメージとは少し違っていました。樹林帯が少なくてやや荒れた印象。昨今の大雨による変化らしいです。結局、涸沢カールで一番強く印象に残ったのは中秋の名月でした。

 上高地は右岸ルートが素晴らしかった! 大したアップダウンがあるわけでもないので、かなり年をとってからでも、また歩きに行けそうです。

上高地〜(紅葉の)涸沢カールに行きました その2

 夜中に雨が降り始め、二日目の朝、出発時も小雨が降り続いていました。雨具の上だけ着て、ザックにカバーをかけ、涸沢カール目指して出発です。標高差はおよそ800m。常念岳〜燕岳縦走で標高差1260mを登ったり下ったりしたのに比べればちょろいもんさ…と思いたいところですが、決して楽ではありません。

 横尾までは緩やかな登り道です。途中、鋭くそそり立つ岩山が見えます。

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 屏風岩という名前で、クライマーの聖地なんだとか。この絶壁を4日間かけて登るのだそうです。ということは、途中でビバークして眠るということ! 私には考えられません。

 雨は30分ほどで止んでくれました。1時間余りで横尾に到着です。

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 トイレを使い、水を補充して、橋を渡ります。ここからは本格的な登り坂になって行きます。

 本谷橋という長い吊り橋を渡りました。

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 途中、ひどく揺れて怖い! 渡ってから、付近の川原で昼休憩です。

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 この辺りからますます勾配が厳しくなります。ナナカマドの紅葉が美しい。

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 何度か休憩を取りながら、涸沢カールに到着。標準タイムで横尾から3時間ほどですが、ガイドさんはもっとゆっくり歩いてくれたので助かりました。

 涸沢カール。「カール」というのは氷河によって山がお椀のような形に削られた地形を指します。

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 紅葉は3分くらい。「1週間後くらいが見頃ですねえ」とガイドさんが話していました。

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 遠くに見える山々の姿が素晴らしい。

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 こちらはテント場。色とりどりのテントが張られていて、楽しげです。いつもの年はこの3倍くらいの数だそう。

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 私は涸沢カールって、もっと大半が樹林に覆われ、それが紅葉するのだと思っていました。実際には樹林は割と少なく、ゴロゴロと岩か石かがなだれたような斜面が広がっています。ガイドさんの話では、以前はもっと樹林の占める面積が広かったのに、近年の大雨などで山が崩れて今のような眺めに変わってきたのだそうです。

 今夜の宿、涸沢ヒュッテ。

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 テラスで名物のおでんが食べられます。でもとても寒い! スケールの大きい景色を眺めながらのんびりしたいところですが(時間はたっぷりありました)、寒いのでそんなに長くは座っていられません。

 ここでは建物がいくつかに別れていて、私たちのツアーのグループは別棟の3部屋を独占できました。トイレも別棟になっているのが少し不便でした。

 夜、ガイドさんが「星を見に行きませんか」と誘いにきてくれました。部屋のある別棟から少し離れたヘリポートで星を眺めるとよく見えてきれいなのだそうです。ほとんどの人が出かけて行きましたが、私は寒いのでパスしました。その後しばらくしてから、「月がきれいですよ」とのお誘い。今度は部屋のすぐ前からでも見られるというので、しっかり着込んで外に出ました。

 なんという大きくて明るい月でしょう。こんな月を見たのは何十年ぶり? 今夜は中秋の名月なのです。じっと見ていると、月から不思議なパワーが伝わってくるよう。でもやっぱり寒いので、短時間で引き上げました。

 この夜もあっさり寝ついて熟睡できました。