冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

句会でした

 今日の午前中は「初めての俳句講座」の3回目。句会でした。
 出席者は講師の先生を含めて10人。ほかに、欠席だけれど作品だけ出した方が一人いたので、11人の参加になりました。全員、中高年の女性です。句は合計30句でした。

 私が投句したのは3句です。
    邪(よこしま)なこびとが喉(のど)に冬来(きた)る

    子猫らの眼(まなこ)空ろや秋すさぶ

    空中の庭にも雀つはの花

 このうち、上の2句にそれぞれ1票ずつもらいました。

 受講生の票がたくさん入った句は次の3つでした。

    ここに在る不思議を思う十二月

    長い影姉妹で踏み合う七五三

    聞き流す母の繰り言石蕗(つわ)の花

 一つ目は講師の先生の句でした。先生も投句するなんて、知らなかった! 私もこの句は選びました(3句選び、その中から1句を特選とします)。

 二つ目は候補に挙げていましたが、結局とりませんでした。着物を着せられ草履を履いた幼い女の子たちが「影を踏む」なんていう動作を本当にするのかな? と疑ってしまったからです。

 三つ目も候補に挙げていましたが、結局とりませんでした。「母の繰り言」があれば「聞き流す」は要らないような気がして。じゃあどうすればいいのかと聞かれるとわからないのですが。

 私が選んだのは上記の「ここに在る」のほか、次の2句です。

    山すべてすすき波打ち空は青

    小さき人訪れ去りて暮早し

 上の句は、晩秋かどうかがわからないのですが、調べも浮かび上がる情景も美しく、スケールが大きくて気に入ったのです。
 下の句は、前後の経緯や心の動きがよく分かって一種のドラマのよう。共感できるので選びました。下の句を特選としました。

 先生の特選3句

    とんび舞ひ蒼さひろげて冬の空

    キラキラリ水面に手を振る紅葉かな

    一輪の我ここに在り冬薔薇(そうび)

 3句目は私も一瞬いいなと思ったのですが、なんだか自我がむき出しな気がして、敬遠してしまいました。

 終わってから、5人で食事に。
 この講座を2年続けてきて今回でやめるという方に、「3つのうち2つに、1票ずつしか入りませんでした」と愚痴ると、「読む人の感性によるから。この講座はしょっちゅう人が入れ替わるから、違うメンバーになるとまた違う傾向の句が選ばれるかもしれないし。そんなことでがっかりしていたら続けられませんよ」と励まされました。

 なるほどねえ。
 私はこの講座の顔ぶれは誰にでも分かる言葉を使った平明な句が好きなんだなあ、その傾向に合う句を作らないといけないのかなあ、などと思ってしまっていましたが、そうではないようです。
 私は私らしい句作りを続けていくしかないんだなあ。
 と言うほど、「私らしさ」がつかめているわけでもないのですが。まだまだそんな段階ではないんですよね。