6月の句会前、自分の詠んだ句のうち(数だけはたくさんありました)、どれが良いのかがわからず、「誰かに添削してもらえたらなあ」としきりに思いました。添削された句はもはや私の作品とは言えないので、投句出来ないのですけどね。
しばらく添削を受けたら、推敲のポイントがわかるかも…という考えから、NHK学園の通信講座に興味を持ちました。
資料を取り寄せると、「俳句おためし添削提出はがき」というのが同封されていました。講座の申し込みをしなくても、とりあえず1句は添削してもらえるらしいのです。
書いたのは
ばら園の児(こ)らのさざめき透析す
という句でした。
発送した後で、「唐突に透析す、なんて出てきて、意味がわかりませんという添削が返ってくるかなあ」と思っていました。
実はこの句、さらに手入れをして
ばら園の風通る部屋透析す
として、6月の句会に出そうと、直前まで思っていたのです。
5月に伊丹市のバラ公園に行ったときに見た実景が材料です。小学生3クラス分くらいの団体がやってきて(聞いてみると1年生でした)、しばらく広場にじっとしていた後、思い思いに遊び始めました。走り回っている子たちもいます。
狭いバラ園だと、バラの棘が刺さったりしないか気になりますし、騒々しいのも迷惑です。でもこのバラ公園は広大なので、楽しそうな雰囲気が盛り上がっただけでした。
ふと見ると、バラ公園に面した道路に4階建くらいのビルがあり、高い位置の壁に大きな文字で「人工透析」と書いてあります。そのすぐ横の窓のある部屋で今も人工透析を受けている人がいるのかなあ、と想像しました。
こうして詠んだ一句だったのです。
句会に出す間際になって、自分勝手にひとのことを想像して、ひとり合点な感傷に浸っているだけなんじゃないか? という疑念が湧いてきて、結局この句は出さずじまいでした。
今日、おためし添削の返事が返ってきました。講評というか、講師の方の読み解きが記され、「児」は乳児や幼児など小さい子をさすことが多いので、「子」で良いのでは? とのこと。添削後は
ばら園の子らのさざめき透析す
と、「児」を「子」に変えただけ。「さざめき」の横には小さな赤マルが付いていました。
その上、私自身が透析を受けているのかなと想像されたようで、丁寧なお見舞いの言葉まで書かれていました。なんだか申し訳ないような気持ちになりました。
ばら園の子らのさざめき から 透析す へ飛ぶのはアリなんだ!
一つ、わかったような気がします。
講師の先生、ありがとうございます!
(通信講座を受けるかどうかはまだ思案中です。)
(前の句会で講師の先生の句が1句も選ばれなかったことを「好不調」と書きましたが、受講生の鑑賞力不足かもしれません。先生、失礼なことを書いてごめんなさい。)