冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

12月の句会

 6日(木)は、昨秋から通っている初心者向け俳句講座の句会の日でした。参加者は講師の先生を含めて11人です。私は3句、投句しました。そのうち、

    友にだけ機嫌良い声冬すみれ

は、先生の特選と受講生一人の佳作をいただきました。

 先生の鑑賞は…
 何か気になることがあって、機嫌の良い声で話せない。ふと気づくと、友達には機嫌の良い声で話している自分がいる。「冬すみれ」には何かにじっと耐えているというイメージがあり、よく合っています。

 とのことでした。
 実はこの句、我が家のすぐ裏の家に住んでいる女子高生のことを詠んだのです。
 両親が話しかけてもぶすっとしているのですが、友達がやってくると別人のように機嫌よく話している。そんな様子が微笑ましくもあり、ちょっと可笑しい。
 思春期って、鬱屈したものを心に抱えていることが多いので、「冬すみれ」という季語を選んだのでした。

 先生の鑑賞を聞いて、「冬すみれ」から女子高生をイメージしてもらうのは無理があったなあと気づきました。別の季語を考えてみることにします。冬以外の季節にしたほうが良さそうにも思えます。

    靴裏の落葉の厚み渓(たに)は晴

 この句は先生の佳作、受講生一人の特選、3人の佳作をもらいました。受講生の方々の鑑賞は、

 「靴裏の落葉の厚み」から長い距離を歩いてきたことがわかり、その満足感や達成感が伝わってくる。

 とのことでした。先生は「情報を詰め込みすぎの感がある」とおっしゃいました。

 この句は、先だって保津川べりを歩いたときのことを詠みました。地面に落ち葉が厚く積もり、その上を歩くとふかふかして足の裏が気持ちいい。渓谷の水音が耳に心地よく、向こう岸の山は美しく紅葉していました。いろいろな要素を含んだ景色を「渓は晴」で表現したつもりでした。

 「落葉」は冬の季語なので、対岸の紅葉をイメージしてもらうのは無理だったかも。さらに問題は「靴裏の」の「の」です。これが誤解を招いたらしいです。
 「に」も考えたのですが、この助詞は説明ぽく散文的になりがちなので避けたのです。「へ」でもよかったかもしれません。

 もう一つの句、

    行く秋や銀髪揺らすノクターン

 は完ボツでした。
  季語「おでん」を読み込んだ句を一句発表するのが課題だったのですが、納得のいく句がちっともできず、出さずじまいでした。

    実南天空映し風映す赤

 この句が大人気。受講生4人の特選が入り、私は佳作に選びました。先生の句でした。
 私が特選にしなかったのは、「実南天」が赤いのは当然なのに、どうして最後にまた「赤」としたのか、そこがわからなかったのです。
 わざわざ「赤」と強調したのにはそれだけの理由があったのでした。ああ、鑑賞力不足!

 ほかに、

    胸に抱くひとり露天の冬の月

    気配して紅葉かつ散る禰宜(ねぎ)の道

 この2句もいいなあと思いながら鑑賞しきれず、佳作にも選ばずじまい。受講生の中には特選にした人もいました。
 もっと言葉に敏感になって、想像力を豊かにして、俳句を味わいたいものです。