能「羽衣 彩色之伝」(京都観世会館)ほか
狂言「鎧」の途中で席に戻りました。「鎧」が終わって20分の休憩の後、仕舞二曲。「屋島」浦田保浩、「野守」杉浦豊彦、でした。
この後、この日一番見たかった「羽衣 彩色之伝」が始まりました。主な出演者は次のとおりです。
天人 観世清和
漁夫白龍 福王茂十郎
漁夫 中村宜成
漁夫 喜多雅人
大鼓 河村 大
小鼓 林吉兵衛
太鼓 前川光長
笛 杉 市和
後見 林宗一郎
片山九郎右衛門
実はこの観世流宗家が舞う「羽衣 彩色之伝」、元旦にNHKで放送されたのを録画して見たのです。そのとき、面(おもて)の表情に今まで見たことがないほどの深さを感じて、感動しました。装束も、見たことがないほど美しく、テレビでさえこんなに心を打たれるのだから、生の舞台ならどれほど素晴らしいだろうと思ったのです。
その後、京都観世会館のホームページをのぞくと、同じ曲を同じ小書きで同じ観世清和さんが舞うことがわかり、ぜひ見ておきたいと思ったのでした。
「羽衣」は、あまたある現行曲の中でも最も上演回数が多いのだそうです。それくらい人気が高いのでしょう。私もずっと前に見た記憶があるのですが、そのときはよくわからないままに終わってしまいました。
見どころは天人(シテ)の舞です。お囃子はやや速い演奏なのですが、シテはゆるやかに舞い続けます。音楽と舞とが付かず離れず合っているところが絶妙でした。
今回の「羽衣」では、謡の詞章が細部まで聞き取れなくても、感じ取ることを大事にすれば能は十分楽しめることがよくわかりました。
じっと面を見ていると、はるか空のかなたに視線をやっているような、どこか切ないような表情を浮かべます。そこに心が震えるほどの深いものが感じられます。あとで調べると、月の世界を讃えて舞う場面や月の世界の天子を礼拝する場面だったようです。
天人が人間の世界を祝福し喜びを与えるような仕草が美しく、見ていて心身が清められる気のする場面がありました。ここも私が受け取ったとおりの意味合いだったのでした。
羽衣伝説にはさまざまなパターンがありますが、能では、羽衣を奪われたのでは天に帰れないと嘆く天人を哀れんで、白龍が羽衣を返します。このような人間の持つ「善」の部分に天人がこたえて、祝福するのだろうと考えています。
装束は、初めから着ている小袖は朱色地に金雲と鳳凰。テレビで見たとき、きれいだけど何の柄だろう? と気になっていたところ、snowdropさんが同じ番組をご覧になって、教えてくださいました。文様の表現がまるで現代の油絵のような力強いタッチでした。
地の色は、テレビでは赤みが強く見えたのですが、この舞台では唐織によく見られる朱色でした。照明の加減で見え方が変わるのかもしれません。
白龍から返してもらって物着で(舞台奥で)身につける長絹は、白い地色の薄物。藤のような植物が描かれており、これもとびきりきれいで、まさに天女の衣のようでした。
天冠(頭に乗せる被り物)には一番上に蓮の花が付き、キラキラした簪のような飾り(瓔珞、ようらく)が揺れていました。
ラスト、天人は片袖を頭にかづき、あとじさりする形で消えていきます。白龍は舞台向かってやや左寄りの位置に立ち、それを見送ります。と言っても天人の方を直接見るのではなく、舞台後方(白龍から見ると右の奥の方)を見ているのです。ここは能独特の演出なのかもしれません。
天人が消えていくさまがこの上なく美しくて清々しい。お正月にこの「羽衣」を見ることができて、幸せいっぱいの気分になりました。
「彩色之伝」という小書き(特殊演出)がつく場合、上演時間は本来の上演方法より短くなりますが、演出としては重々しくなるのだそうです。演じ方は小書きによってかなり変わるのか、私の隣に座っていた女性客二人があとで「今まで見た羽衣とずいぶん違うね」と話していました。
休憩15分の後、仕舞3曲。「老松」片山九郎右衛門、「東北(とうぼく)」井上裕久、「鞍馬天狗」林宗一郎、でした。林宗一郎さんは有斐斎弘道館で謡を教えてくださった講師の先生です。
おしまいは能「小鍛冶」。正先に置かれた台の上で稲荷明神と三條宗近という名前の刀匠が実際に刀を鍛える所作をするところが面白い。シテの稲荷明神(前シテは童子)は深野貴彦、ワキの三條宗近は小林努でした。
全部が終わったのは6時近く。11時開演から2回の休憩を挟んでおよそ6時間です。これで入場料6000円というのはお得と言えますが、長過ぎていささか疲れました。
追記:その後、能に詳しい方のブログを読んで、この日の装束の名前がわかりました。初めは「紅地鳳凰縫箔腰巻」、白龍に返してもらって着る長絹は「白地藤花蝶文様長絹」でした。