冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

金剛能楽堂で今年三度目の「翁」

 先月27日(日)、京都の金剛能楽堂で「翁」を見ました。金剛流の「翁」は私が今まで見てきた観世流の「翁」とは少し違っていました。
 
 観世流では鏡の間で切火をしてから(客席からは見えません。火打石を打つカチカチという音だけが聞こえます)、揚幕の客席から見て右側下の方を少し上げ、橋がかりに手を出して(どういう役回りの方がしているのかはよく知りません)切火をし、舞台を清めます。
 金剛流ではかみしもをつけた男性が揚幕から橋がかりの三の松あたりまで出てきて切火をしていました。あとで登場した後見の方々と同じ着付でしたので、そのうちの一人がこの任を果たされたのだろうと思います。

  面箱(めんばこ)という人物は登場しませんでした。つまり、登場人物は翁を務める大夫、千歳、三番三の三人なのです。面(おもて)の入った箱は千歳が押しいただいて登場します。この千歳は狂言方が務めるそうです。
 大夫(翁)の後見は観世流では二人ですが、金剛流では三人でした。

 大夫(翁)は金剛永謹(ひさのり)さん。金剛流のご宗家です。長身で整ったお顔立ち。二枚目とかイケメンとかいうよりも、長年、古典芸能に精進している方独特の渋い風貌です。
 この方、京都観世会館で一度だけ仕舞を拝見したことがあります。その折も「かっこいい方だなあ」と印象に残ったのでした。

 大夫は揚幕から重々しい足取りで進み、舞台正面で深く礼をします。このとき、観世流では確か正座だったと思うのですが、金剛流では右膝を立てて座っていました。礼は、観世流では(というか、大槻文藏さんは)
上半身を深々とかがめますが、金剛流ではやや浅い角度でした。
 千歳は山下守之さん(この方は初めて拝見しました)、三番三は前回と同じ茂山忠三郎さんでした。

 翁の舞は気品に溢れていて…と拝見しているうちに心地よい眠気に襲われてしまいました。なので、このあとはしっかり鑑賞することができていません。もったいないことをしました。

 会場で配られた資料によると、千歳は若者の、翁は集団の長の、三番三は農民の象徴と考えられているそうです。また、翁が白い面(白式尉、はくしきじょう)を、三番三が黒い面(黒式尉、こくしきじょう)をかけるので、対になっています。黒い面は翁の「もどき」であり、服従や茶化しが隠されているのだろうとのことでした。

 「翁」の後、狂言佐渡狐」。茂山七五三(しめ)、茂山あきら、茂山千作の皆さんでした。狂言方として知られている京都の茂山家には忠三郎家と千五郎家の二つの系統があるようです。
 三番三を舞った当代の忠三郎さんは30代後半という若さです。先代の忠三郎さんは狂言の舞台で拝見したことがあります。

 休憩を挟んで仕舞三曲。「老松」「東北」「国栖」と、めでたい曲が並びました。ここで気づいたのですが、金剛流地謡は謡うとき、扇子を膝上に両手で水平に構えるのです。観世流では右手でかなめのあたりを持って、先端を膝前中央あたりの床についていました。

 おしまいは能「内外詣(うちともうで)」。金剛流独自の演目です。
 シテは金剛龍謹(たつのり)さん。ご宗家のご子息です。この方も以前、京都観世会館で仕舞を拝見しました。そのときは稀に見るような美形でしかも鋭利な刃物のようなお顔だと思ったのですが、今回はとても穏やかなお顔つきで、まるで別人のように見えました。曲の内容によってすっかり変わるのでしょうか。

 シテのお顔がわかったのは伊勢大神宮の神官という設定で、前シテは直面(ひためん)だったからです。後シテは面を付け、赤くて短い毛を被り、小さい木琴の鍵盤のようなのが並んだもの(何という名前なのか、わかりません)を額に着けていました。
 この姿は獅子を表していて、「獅子舞」を舞うのです。キレの良い舞いぶりが見事です。動物の動きを表す所作が何度も見られました。

 金剛能楽堂には初めて行きました。

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 舞台はかなり歳月を経た建築物のようで、風情たっぷりです。客席は新しく、座席もゆったりして座り心地がよかったです。
 美しいお庭があり、ロビーからテラスに出て眺めることができます。

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 ご宗家の永謹さんは人柄が良いことで知られているようです。私のような能楽については初心者プラスアルファ程度の者にまでその評判が伝わってくるのですから、能楽界ではよく知られているのでしょう。 
 今月23日に京都観世会館でこの方が「土蜘蛛」を舞うと知って、見に行きたいと思ったのですが、すでにチケットは完売になっていました。