冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「古演出による 葵上」つづき

 上演に先立って、梅内美華子さんの解説がありました。詳しくて行き届いた解説でした。

 印象に残った部分を記しておきます。

 ・六条御息所はなぜ生霊となったか。光源氏への恋慕、光源氏が自分から離れて行く悲しみ、それゆえの(「車争い」をきっかけにして激しくなった)葵上への恨みや嫉妬の感情。前皇太子妃という格式の高い立場にあることから、そのような感情をあらわにすることははしたないという自制心が働き、感情は出口を塞がれて心の中に積もっていった。それがついには本人の意識を離れ、生霊と化して葵上を襲うに至った。

 ・「源氏物語」の「葵」を典拠としている。古典文学に生霊が登場する作品は少なくないが、生霊の側からの描写が見られる作品は珍しい。

 ・「源氏物語」の葵上は左大臣の娘。左大臣家は藤原家をモデルにしている。六条御息所天皇家とのつながりが深い人物。葵上と六条御息所の対立、六条御息所の敗退は藤原家と天皇家の政治的葛藤を下地にしている。

 ・世阿弥が属していた大和申楽(さるがく)にはもともと「葵上」という作品はなかった。世阿弥が尊敬していた近江申楽の犬王道阿弥が「葵上」を演じるのを見て、世阿弥は感銘を受け、手直しをして大和申楽に取り入れた。現在、一般に上演されている「葵上」は世阿弥の改作したもの。

 ・元の作品では六条御息所の侍女がツレとして登場していたし、六条御息所賀茂祭の折の「車争い」で味わった屈辱の象徴である牛車の作り物が出ていた。世阿弥が記した「申楽談義」にそのことが書かれている。

・昭和57年(1982年)、「橋の会」の実験能「葵上」で浅見真州さんがシテを演じた。昭和59年(1984年)、法政大学能楽研究所による試演会で原型が復元された。浅見真州さんはこの時も復元に携わった。いわばパイオニアである。当時から浅見さんは「侍女は3人くらいいたのでは」と考えていたが、試演では能楽師が揃わず実現しなかった。今回はそれが実現した。大槻能楽堂では初演である。

 ・六条御息所(の生霊)は葵上を打ち据える(「枕の段」。前半のクライマックス)。これを「うわなり打ち」といい、中世の民間習俗だった。先妻が後妻の、あるいは正妻が愛人の家に行き、家を打ち壊すなどの危害を加えた。そのような形で感情を発散させたのだと思われる。

六条御息所は葵上を破れ車に乗せて連れ去ろうとする。この部分は原典(「源氏物語」)にはない。六条御息所の生霊が冥界から来たような、地獄へ連れ去ろうとするようなイメージだ。

 ・地謡六条御息所の気持ちを語る部分、「人の恨みの深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きてこの世にましまさば。水暗き澤邊(さわべ)の蛍の影よりも光君とぞ契らん。」は特に有名。和泉式部が夫から疎んじられるようになった時に詠んだ歌「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」を踏まえている。

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