冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

義太夫と能で「小鍛冶」さらにつづき

 遅まきながら「小鍛冶」のあらすじを紹介します。以下、当日配られた資料から引用します。

 一乗院に仕える橘道成が、三条の小鍛冶宗近の私宅に赴き、御剣を打てとの勅命を伝える。自分に劣らぬ相槌がおらず、返答しかねる宗近に重ねて宣旨が下り、進退窮まった宗近は氏神の加護を頼んで、稲荷明神に向かう。その途中で素性不明の童子ふうの男に出会う。男は漢家本朝の剣の威徳を宗近に語って聞かせ、私宅に戻って待てと言って姿を消す。

 宗近が私宅の壇を飾り、勅命に応えることができるよう神々に祈請していると、稲荷明神が空から飛来する。神としての威勢を示し、壇に上がり宗近に三拝し、宗近の相槌を勤め、みごとな御剣を打ち終える。

 宗近が御剣の表に「小鍛冶宗近」の銘を、裏には「小狐」の銘を入れると、明神は御剣を勅使道成に捧げ、叢雲(むらくも)に飛び乗って、稲荷の峰に帰ったのだった。

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 橘道成は、道成寺の名前の由来になった人物です。

 前シテは童子、後シテは稲荷明神で観世喜正、ワキは三条小鍛冶宗近で福王知登(ともたか)、ワキツレは勅使、橘道成で喜多雅人、アイは宗近の下人で茂山忠三郎でした。後見3人のうち一人は大槻文藏さんです。

 小書「黒頭別習(くろがしらべつならい)」について。これも当日の資料から引用します。

 常の前シテは「童子(または「慈童」)の面・紅入着流シ・水衣だが、「喝食(かっしき)」の面に裳着胴(もぎどう。上着を着けない)の姿に替わり、手に稲穂を持つ。後シテも常は「小飛出」の面に赤頭・輪冠狐戴・半切に上着は法被を用いるが、輪冠狐戴なしの黒頭に半切の裳着胴姿になる。また、後シテの出が「石橋(しゃっきょう」で獅子の登場に使われる豪快で緊迫感のある特殊な囃子に替わるなど、全体的に重厚、且つ緩急が付き、より獣性と霊性を帯びた俊敏性・神秘性が求められる、見応えのある演出。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 前シテは常は稲穂ではなく扇子を持ちます。裳着胴は、能では半裸を表す装いだそうです。

 長くなりましたので、続きは次の記事に書きます。