冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「唐船」を見ました(京都観世会館)

   7日(土)に京都観世会館で能「唐船」を見ました。シテ方能楽師、味方玄(しずか)さんが主宰する「テアトル・ノウ」の公演です。

 内容は一風、変わっていました。以下、あらすじを当日のチラシから引用します。

 日本と唐土との船の争いがあり、唐土の祖慶官人(そけいかんにん)は日本の箱崎の何某(ワキ)に捕らわれの身となり、はや13年になる。数々の牛馬を追う下働きをさせられ、今日も日本で生まれた子どもたち(日本子。年下の子方)と共に、鞭、縄を持って帰路についている。

 帆船に数々の宝物を積み、唐子(年上の子方)がはるばる日本に渡ってくる。祖慶官人が唐で生き別れた子のソンシ・ソイウ兄弟である。父・祖慶官人がまだ日本で行きているならば、宝物と引き換えに父を船に乗せて連れて帰ろうというのだ。

 箱崎の何某と対面した二人は父が存命の由をきく。なんでも仏詣のため外出しているという(箱崎の武士の情けか、牛馬を追わせているとは明かさない)。やがて帰った祖慶官人は箱崎から、唐子たちとの対面を許され、喜びの再会となる。折しも追い風が吹き、唐子たちは父に帰国を促す。祖慶官人と唐子たちに続き日本子たちも乗船しようとすると、箱崎は「日本で生まれた者ゆえ、この後も召し使う」と許さない。帰ろうとする唐子、引き留める日本子、中にはさまれて進退きわまった祖慶官人は、巌に上がり身投げしようとする。四人の子どもたちは左右から取りすがり涙を流すと、祖慶官人も力なく倒れ泣き伏してしまう。

 さすがにあわれに感じた箱崎は日本子にも乗船を許す。夢かとばかり喜ぶ祖慶官人は四人の子を伴って船に乗り、楽を奏で喜びの舞を舞う。船子が揚げた帆に風をいっぱいに受けた唐船は、まっすぐな航跡を残し唐土に向かうのであった。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 

 シテの祖慶官人は味方玄さん、ワキの箱崎の何某は福王知登さん。日本子(年齢の大きい子どもたち)を味方玄さんの娘さん二人、唐子(年齢の幼い子どもたち)を味方玄さんの甥っ子さんたちが勤めました。囃子方は大鼓・河村大、小鼓・吉阪一郎、太鼓・前川光長、笛・杉市和の皆さん。地頭は片山九郎右衛門さんでした。

 長くなりましたので、感想は次の記事に書きます。