冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「唐船」を見ました(京都観世会館) 続き

 シテ、つまり主人公が日本人ではなく、捕虜として捕らえられ日本で働かされている外国人という設定がとても珍しいです。こんな例をほかには知りません。とはいえ、描かれている祖慶官人と子どもたちの気持ちや、箱崎の某が親子の情愛に心を動かされる結末には普遍性を感じました。

  この「唐船」は上演回数の少ない曲です。子方(子どもが扮する役)が4人そろわないと上演できず、4人そろうというのがなかなか難しいからだそうです。

 今回の子方は唐子(年長の子どもたち)を味方玄さんの二人のお嬢さんが、日本子を玄さんの弟で同じくシテ方能楽師の味方團(まどか)さんの二人の息子さんが演じられました。皆さん、堂々としていて、よく通るきれいな声なので感心しました。玄さんと團さん兄弟もこの曲の子方を演じた経験があるのだそうです。

 ほかに、すぐ目につく特徴は、船を表す大きな作り物が出ることです。船の形をした大きな枠で、船頭役の狂言方が運びます。帆柱も備えていて、二度ほど帆を上げました。終盤、この船の舳先に祖慶官人が立ち、その後ろに日本子二人、さらに後ろに唐子二人が並んで座っているありさまは壮観と言っていいほどでした。唐子の影に隠れて見えませんが、最後尾には船頭もいます。

 「唐土(もろこし)」というのは歴史上の「唐」を指すのではなくて、漠然と近隣の外国という意味のようです。朝鮮半島や大陸からやってきた人々が日本の(主に九州北部の)海岸を荒らしたり、逆に日本の倭寇(わこう)が大陸の海岸を荒らしたりしていた実情が反映しているようです。

 初めは日本子の帰国を許さなかった箱崎の某が親子の悲しみにくれる様子を見て心を動かされ、最後には許しを与えます。祖慶官人が望みを叶えて子どもたち4人と祖国へ帰っていくというハッピーエンドなので、めでたい曲です。ただ、ふと日本の妻はどうなったんだろう? と思ってしまいました。

 船頭役の狂言方が中国語っぽい奇妙な言葉を話すのも気になりました。中国語の特徴を強調してそれらしく聞かせるような言葉で、おかしみがあってつい笑ってしまうのですが、中国人の方が聞いたら不愉快だろうなと想像しました。

 この日、シテの祖慶官人が登場する前の間合いが長くて、「どうしたんだろう? 何かあったのかな?」と訝しく思いました。考えてみると、ここはお囃子が入って、それをきっかけとしてシテが揚幕から出てくるはずなのに、お囃子が始まらなかったのです。お囃子の皮切りは笛で、杉市和さんです。演奏を忘れるなんて考えられません。

 ところがようやくお囃子が始まってシテが登場した後、地頭の片山九郎右衛門さんが切戸口から出て行き、しばらくして戻ってこられたのです。地謡が途中で退座するというのも珍しいことです。そのあと、市和さんの子息、信太朗さんが切戸口から出てきて市和さんの後ろに座られました。この一連の様子から私は「杉市和さん、体調が悪いのでは?」と考えました。でも結局、市和さんは最後まで舞台を勤められ、何もなかったように退場されました。何が起きたのかはわからずじまいです。