冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「葛城(かづらき)」 大和舞 その1(京都観世会館1月例会)

   休憩を挟んで、「葛城」です。あらすじを当日のチラシから紹介します。一部、文言を書き加えたり改行したりしています。

 出羽の羽黒山から来た山伏が大和国葛城山に入り、吹雪に遭う。すると一人の里の女が山伏に声をかけ、(谷底の)庵に案内する。この葛城山の雪の中で集めて束にした木々のことを「しもと」と呼ぶと教え、それを解き、火に炊いてもてなす。

 やがて山伏が後夜の勤めを始めようとすると、女は加持をして自分の苦しみを助けてくれと頼む。明王の策で身を縛められているという。女は、実は葛城の神であり、昔、役行者に命ぜられた岩橋を架けられなかったことを明かして消え失せる。

    中入

 その後山伏は里の者と出会い、昔、役行者が葛城の神に岩橋を架けることを命じたが、神は自分の姿が醜いのを恥じ、夜しか仕事をしなかったため橋が架からず、役行者の怒りを買い、蔦葛で縛められたのだという話を聞く。

 夜、山伏が祈祷していると、その法味に引かれて葛城の神が現れる。策により縛められた身も修法により解け、「高間の原はこれ」ぞと大和舞を舞う。そしてまた「明けぬ先に」と葛城の神は夜が明けぬ先に岩戸の中に消えてゆく(夜が明けると自分の醜い容貌を見られてしまうからです)。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 前もってこのあらすじを読んで、なんで神様が人間である役行者に橋を架けることを命令されたり、それをやり遂げられなかったからと罰を受けたりするの? なんで神様が自分の容貌の醜さを恥じたりするの? と疑問だらけでした。「ツタカズラに縛られて苦しむ」なんて、なんだかSMぽいですし。

 元々の伝説では、神は一言主(ひとことぬし)という男性の神様で、醜い容貌を恥じて夜しか仕事をせず役行者に縛られて谷底に落とされたのは同じですが、それを恨みに思って朝廷に「小角は葛城山に兵を集めて天皇を殺す計画を立てている」と訴えたので、小角は伊豆へ流島にされたのだそうです。男神でも容貌の醜さを恥じるところは同じだったらしい。でも、復讐するところが違います。

 ある能楽師さんがブログでこのシテを演じるに当たり、私と同じような疑問を抱いて、どう演じればいいのか悩んでいたところ、先輩の能楽師さんから「能は理屈で考えないで、もっとおおらかに全体をとらえた方がいい」と言われたとか。それを読んで、なるほど、そういうものなのかと考え直して拝見しましたら、とても美しく、音楽的にも心地よくて、幸福感に浸れる曲でした。

 長くなりましたので続きは次の記事に書きます。