冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「葵上」、狂言「梟」(大槻能楽堂)

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 20日大槻能楽堂で「葵上」を見ました。この曲は人気があってよく上演されるので、私も覚えているだけでも3度は見たことがあります。でも、今回の「葵上」は特別でした。シテ、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊の役を私の一番好きな能楽師さん、大槻文藏さんがなさるからです。

 当日のチラシから、解説を引用させていただきます(一部、書き加えています)。

 源氏物語を題材にした能で室町時代からの人気曲。光源氏の正妻・葵上の病を、照日(てるひ)の前(巫女)が梓弓をかき鳴らして占うと、六条御息所の生霊が破(や)れ車に乗って現れ、葵上に対する恨みを現します。生霊退散のため比叡山より横川の小聖(修験者)が呼ばれ祈祷すると、怨霊となった六条御息所が現れ、葵上をあの世に連れ去ろうとします。横川の小聖が真言を唱えさらに祈祷すると、御息所の心は浄化され、生霊は消えていくのでした。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 今回は「古式」という特殊演出でした。通常の演出では前場でシテの六条御息所は一人で登場するのですが、古式では青女房(侍女)を伴っています。私が前に浅見真州さんのシテで古式バージョンを見たときは青女房が3人いましたが、今回は一人でした。破れ車の作り物が橋掛かりに運ばれ、六条御息所がそこに乗って出てきたという形になったのは前回と同じでした。

 賀茂の祭に、六条御息所光源氏の姿を一目見ようと、牛車に乗って出かけるのですが、見物の場所を巡って葵上が乗った牛車と争いになり、六条御息所の牛車は葵上の家来たちによってぼろぼろにされてしまいます。この事件が六条御息所の心を深く傷つけ、葵上への憎しみを募らせることになります。舞台に登場する破れ車はこの事件の象徴であり、車は仏教の「輪廻」思想を表してもいます。

 前場での文藏さんの謡からはシテの底知れないほどの深い哀しみがくっきりと伝わってきました。ある一点で、その哀しみは憎悪に転化します。その一点での変化が手に取るようによくわかりました。そして、その後も哀しみはそのまま続いているのでした。こうしたシテの内面の変化に心を揺さぶられ、シテの思いを味わい、涙が出てきました。「葵上」を見てこんな気持ちになったのは初めてです。

 葵上を打擲しようとするシテを青女房は制止しようとしますが、シテを止めることはできません。すると青女房も同じようにして葵上を打ちます。打つ回数はわずかなのですが、本当は何度も打っているのだということが想像できます。

 後場で登場する六条御息所の生霊は白い小袖をかづいて顔を隠しています。その白さは、闇の中にうごめいて微かな風を送ってくる、正体不明の怪しいものを想像させてくれます。小袖を少し持ち上げたとき、般若の面の裂けた口元が見えます。舞台まで出てくると、般若の面の全貌が見えるのですが、横川の小聖の祈祷に合うと、白い小袖を深く被ってうずくまります。その姿が、不気味なはずなのに、なぜかとても美しく見え、存在感の強さに目が吸い寄せられました。

 横川の小聖とのたたかいでは所詮は生霊はかなうはずもなく、消えていくことになります。ここで葵上の側に立って見れば「ああよかった」と思うのでしょうが、そんなことは少しも思わず、六条御息所がいたわしくてたまりませんでした。

 葵上という人物はこの舞台には現実には登場しません。ただ、一枚の小袖が正先に置かれ、それが葵上だという約束になっています。このような演出方法は能独特です。

 この能の上演に先立って、狂言「梟(ふくろう)」が上演されました。これは「葵上」のパロディだと前もって資料を読んで知っていました。当日のチラシから、あらすじを紹介します(一部、手を加えています)。

 山から帰った弟の様子がおかしいので、兄は法師に診察を依頼します。法師は梟が取り付いているようだと診断し、治療の祈りを始めます。その祈りの途中から、兄の様子もおかしくなり、ついには法師にまで梟が取り付きます。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・

 つまり、横川の小聖というような修験者の霊を祓う力を嘲笑しているのです。法師が登場する場面や祈りの場面で法師の語る言葉が横川の小聖にそっくりで、でも微妙に変えてあって、とてもおかしかったです。一部、「安宅」の弁慶の言葉とそっくりだと思った部分もありました。

 弟が「ホウッ」という叫び声をあげるところから梟が取り付いているとわかるのですが、兄、そして最後には法師までも同じ叫び声を上げるのが滑稽で笑えました。

 この公演は大阪府文化芸術創出事業として行われました。私が見たのは第一部で、その後、第二部が上演されました。第二部の演目は新作能「アマビエ」と能「土蜘蛛」でした。配られた資料に土蜘蛛についてこんなことが書かれていました。

「鋼の刀と、蜘蛛の糸では勝敗が見えているようにも思えますが、土蜘蛛は鋼を持つものに戦いを挑みます。凛とした白い蜘蛛の糸は土蜘蛛たちの心の叫びのようでもあります。」

 先日見た「土蜘蛛」がいっそうよく理解できた気がしました。