京舞と能「鉄輪(かなわ)〜大槻能楽堂「ろうそく能」
7月9日(金)の夜、大槻能楽堂で京舞と能の「鉄輪」を見ました。毎年夏に開かれる「ろうそく能」です。昨夏はコロナのために中止になり、演目や出演者を変えずに今年ようやく実現したのです。
公演に先立って、作家の夢枕獏さんが「丑刻詣と陰陽師」というタイトルでお話をする予定でしたが、体調不良で中止に。ご本人から観客へのお手紙のような文章をプリントしたものが配られました。
お話の代わりに大槻祐一さんと井上安寿子さんの対談があり、司会を務めた桂吉坊さんが対談に先立ってそれを読み上げました。実物をなくしてしまったので、ここに引用できませんが、夢枕さんが「鉄輪」について「悲しみ」という言葉をキーワードにして書いていることに共感を覚えました。嫉妬に狂った女の恐ろしさ、ではなく、「悲しみ」。これがわからなければこの作品を誤解するだろうと私は思います。
当日配られた資料からあらすじを紹介します。
夫に捨てられた女(妻)は恨みを晴らそうと貴船神社で丑刻詣を始めた。女が来ることを夢で見ていた宮の社人は、「赤い衣を着て顔に朱を塗り、頭には鉄輪を載せてろうそくを三本灯せば、鬼神になれると神のお告げがあった」と女に話す。
一方で、夫は夢見が悪いと陰陽師の安倍晴明の元を訪れる。「女の深い恨みの念によって命が危うい」と晴明に告げられた夫は、妻を捨て後妻を迎えたいきさつを話し、祈祷を頼む。
晴明が夫と新妻の人形(ひとがた)をつくり祈祷を始めると、前妻の霊が現れた。人形に向かって恨みをのべ、後妻の髪に手をからめ後妻(うわなり)打ちをし、夫の命を奪おうとするが、晴明の祈祷により集まった神々を前に目的を果たすことなく、恨み言を残して去っていく。
・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・
点灯式が行われ、舞台と橋掛かりの前に立てられた和蝋燭が灯されました。それ以外の照明はありません。
まず、京舞の「鉄輪」。舞うのは井上八千代(人間国宝)。歌・三弦、菊原光治、ほかに三弦、笛、小鼓、大鼓が入りました。
私は舞踊というものがいまだによくわからず、玉三郎の歌舞伎舞踊を見ても「きれいだなあ」と思うだけなのですが、この日は少し違いました。冒頭、菊原師の「わす」という言葉が耳に入った瞬間、井上八千代さんの表情から悲しみがほとばしり出るのが感じられたのです。あとで資料を見ると、「忘らるる、身はいつしかに浮草の、」という詞章の最初の部分でした。その言葉の意味がわかる前に、表現されている感情をまざまざと感じ取ることができたのは、私には思いがけない大事件(?)でした。
京舞については、きりっとしているけれど全体に優美な雰囲気という印象を抱いていましたが、この「鉄輪」はかなり違っていました。速く強い動きが多くて、八千代さんの小柄な体から強靭なパワーが放たれているのが感じられたのです。跳躍して(膝を後ろに折り、足首から爪先までをぴんと伸ばして)、そのまま床にパシッと座る、という所作が何度も見られ、能の影響が感じられました。能では跳躍の後、一回転して座りますけれども。
能「鉄輪」については次の記事に書きます。