冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

謡(うたい)のお稽古を始めています

 4月から月2回、某カルチャーセンターで観世流の謡の教室に通っています。今まで書かなかったのは、続けられるかどうか、自信がなかったからです。

 

 謡というのは能のボーカル部分です。シテ(大雑把に言えば主役のこと)、ワキ(大雑把に言えば脇役のこと)、地謡(じうたい。コーラス隊のようなもの)が語る、音楽的な詞章です。

 能を見ることが好きになってから、謡の言葉の意味がもっとよく理解できれば作品をもっと深く鑑賞できるのになあと思うようになりました。ネットや本でも詞章の言葉づらはわかるのですが、表面しかつかめません。もっとよくわかるのには自分で稽古してみるのが一番いいんじゃないかな? と思うようになりました。

 というのは、豊竹呂太夫師匠の素人向け義太夫講座に10年間通った経験があるからです。毎年、夏の発表会では能舞台に一人で座り、プロの三味線弾きさんに三味線を弾いていただいて義太夫の一部分を語るという経験をしてきました。その日に向けて、師匠とのマンツーマンのお稽古を重ね、何カ月かはほとんど義太夫一色で稽古に励むという生活を送りました。その結果、義太夫の面白さや味わいが以前よりずっとよくわかるようになり、文楽の公演を見る(プロの義太夫を聴く)鑑賞力が高まったことを実感してきたからです。

 問題は、私の衰えた脳みそで新しい習い事を始めて(しかもかなり難しいことがあらかじめわかっているのに)、先生の説明をどこまで理解できるか、教えていただいたことをどこまで覚えられるか、というところでした。要するに、「ついて行けるかな」と不安だったのです。

 始めてみたら、先生はとても優しく教えてくださるし、先輩弟子さんたち(皆さん、80代の初めというご高齢。年齢の上でも私よりずっと先輩です)も暖かく迎えてくださり、教室の居心地は上々です。

 ついて行けているかどうかというと、そこは微妙です。やはり決まり事が多くて難しいなあと感じています。先生の説明もその場では理解しきれず、後日、家で録音を何度も聞き直して、「そういうことだったのか」と納得することもしばしば。覚えるのもなかなかで、毎回、復習と予習が欠かせません。

 お稽古の進行はけっこう早くて、「鶴亀」「橋弁慶」を終え、今は「吉野天人」に取り組んでいます。今までは「ツヨ吟」という謡い方だけだったのが、「吉野天人」からは「ヨワ吟」という謡い方が加わり、覚えないといけないことがさらに増えました。でも、私がこれまで能楽堂で聴いて「いいなあ」と思っていたのは「ヨワ吟」だったことがわかり、先生のお手本の後でおぼつかないながら一節を謡うと、これがまことに快感! なのです。

 こんな調子で、しばらくは続けていけそうな気がしてきました。謡を謡うのは気持ちいい、という体感・実感があるので、やめられなくなりそうです。