冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「楊貴妃」、能「天鼓」(大槻能楽堂)

 書きそびれていましたが、8月下旬、立山に行く前に「大槻文藏 裕一の会」を見ました。演目はタイトルに書いた能二曲と、狂言「隠狸」でした。

 

 「楊貴妃」はシテ、大槻文藏さん。初めて見る曲でもあり、とても楽しみにしていたのですが、気持ちよく眠ってしまいました。なんてことでしょう(涙)。

 ただ、最後の場面で、死後の世界の宮殿に寄り掛かるようにして佇む楊貴妃の姿がなんともなまめかしく、それでいて清潔感があり、ふわっと柔らかい雰囲気が言いようもないほど美しかったことだけを覚えています。

 ワキは福王茂十郎、大鼓 山本哲也、小鼓 大倉源次郎、笛 杉市和 ほかの皆さんでした。

 

 「天鼓」はしっかり起きていられ、楽しめました。当日配られたパンフレットからあらすじを紹介します。

 

 中国、後漢の時代。不思議な鼓をもつ少年、天鼓は、鼓を召し上げようとする皇帝の命令を拒んだために殺害され、呂水という川に沈められてしまう。ところが、召し上げた鼓は天鼓との別れを悲しむゆえか一向に鳴らない。皇帝は勅使(福王和幸)に命じて天鼓の父・王伯(大槻裕一)を召し出すと、鼓を打つよう命じる。鼓を見ては息子との別れを嘆き、悲しみに生きる身の苦しさを思う王伯であったが、やがて決心し、わが子の形見の鼓を打つ。すると世にも妙なる音色が響き、その様子に心打たれた皇帝は天鼓を弔おうと心に決める。従者(野村太一郎)に命じて王伯を家まで送り届けさせた勅使は、さっそく回向の準備をはじめる。皇帝一行が呂水のほとりで音楽法要を手向けていると、天鼓の幽霊(大槻裕一)が現れた。天鼓は鼓を軽やかに打ち鳴らすと、自分に手向けられた音楽の興に乗じ、満点の星空の下で舞い戯れるのだった。

・・・・・・・ここまで・・・・・・

 

 若い裕一さん(24歳)が前シテでは愛する息子を失った老父を演じます。これがとてもうまくて、どう見ても老人にしか見えませんでした。皇帝の横暴に憤り、息子との死別を嘆き、生きる希望を失って、魂の抜け殻のように成り果てた父親の姿でした。

 後シテの天鼓には、打って変わって、若さがみなぎっていました。舞う姿を見ていると、再び鼓を打つことができるのがうれしくてたまらない様子が伝わってきます。お囃子も明るくて、舞台の上に幸福感が溢れ、拝見しているこちらまで幸せな気持ちになりました。

 天鼓は生まれながら才能に恵まれた音楽家であったわけで、音楽を演奏するのが彼の天命だったのです。それを聴かせてもらう側も幸福にしてもらえます。音楽、芸術、芸能というものと人間との深い結びつきが理屈でなくわかる気がして、感動しました。

 大槻裕一さんは文藏さんの芸養子。今までにも何度か舞台を拝見していますが、この日の「天鼓」には文藏さんがこの人をご自分の後継者に選ばれたのはもっともだと納得できました。

 ワキ(勅使)は福王和幸、大鼓 亀井広忠、小鼓 成田奏、太鼓 前川光範、笛 竹市学ほかの皆さんでした。