冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「通小町(かよいこまち)」(大阪観世会定期能、大槻能楽堂)

  2つ目の演目は能「通小町」です。あらすじをthe能.comのサイトからお借りしました。

京都・八瀬(やせ)の山里で一夏の修行[夏安居(げあんご)。九十日間籠もる座禅行]を送る僧のもとに、木の実や薪を毎日届ける女がいました。僧が、問答の末に名を尋ねると、女は、絶世の美女、才媛であった小野小町(おののこまち)の化身であることをほのめかし、姿を消しました。

市原野に赴いた僧が、小町を弔っていると、その亡霊が現れ、僧からの受戒を望みます。そこに、背後から近づく男の影がありました。それは小町に想いを寄せた深草の少将の怨霊でした。執心に囚われた少将は、小町の着物の袂にすがり、受戒を妨げようとします。

僧はふたりに、百夜(ももよ)通いの様子を語るよう促します。少将からの求愛に、小町は、百夜通って、牛車の台で夜を過ごせば恋を受け入れると無理難題を出します。少将はどんな闇夜も雨、雪の夜も休まず、律儀に歩いて小町のもとへ通いました。そのありさまを再現します。

百夜目。満願成就の間際、まさに契りの盃を交わす時、少将は飲酒が仏の戒めであったことを悟り、両人ともに仏縁を得て、救われるのでした。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 

 シテは深草の少将、小町はツレ。つまり、題は「通小町」ですが中身は深草の少将に重点が置かれているのです。成仏を願う小町に対して、それを妨げようとする深草の少将。片想いの激しい恋が転じて強い恨みに囚われています。

 シテを演じたのは大槻文藏さん。装束がとても美しく、色彩感覚や文様の取り合わせなども洗練されていて、その姿からは色気さえ感じられました。面は亡者を表すもので、虚ろな目をしているのですが、座っている小町に目をやるとき、表情に深い悲しみが見えました。

 今まで能を見ていて女性の登場人物に救いようのない深い悲しみを感じたことが2度ありました。「葵上」のシテ、六条御息所の生霊。そして「鉄輪(かなわ)」のシテ、夫に捨てられた女です。でも、男性の登場人物にここまで深い悲しみを感じたのは初めてでした。

 ワキの僧に促されて、深草の少将は「百夜通い」の様子を再現します。この部分でもずっと、底の方にシテの悲しみが沈んでいるように思いました。

 二人ともが成仏する最後はあっけないほどです。もともと比叡山の僧が書いた作品なのだそうで、後に観阿弥世阿弥が手を加えて今のような曲になっています。

 ツレ(小野小町)は赤松禎友、ワキは福王茂十郎。大鼓 山本哲也、小鼓 大倉源次郎、笛 貞光義明、地謡の頭は観世清和さんでした。