冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「春の素謡と仕舞の会」(京都観世会館)

 3月13日(日)、久しぶりに素謡を聴きに京都観世会館へ行きました。プログラムは素謡「高砂」「弱法師(よろぼし)」「千手」「天鼓(てんこ)」。仕舞が12番でした。

 「高砂」はよく知られているご祝儀の曲。播州高砂の浦から大阪の住吉浜へと、海が見えるスケールの大きな風景が目の前に広がっていく気がしました。

 「弱法師」は能で見たことがあります。シテ役が梅若実さんだったので、先日の苦い記憶が残っており、できれば席を外したいと思いましたが、前後に休憩がないのでそれもできず、そのまま聴くことにしました。

 ところがこの日の梅若実さんは、一、二回詰まって隣の味方玄さんに教えてもらっただけで、ほぼ今まで通りに問題なく謡っていました。声は少し弱々しい気がしましたが、とても上手でした。この前はよほど体調がすぐれなかったのかなあと思ったりしました。

 プログラムの中では、3番目の「千手」が一番良かったです。謡の本を持っていたので、それを見ながら聴くことができて、よく理解できたからでもあります。

 the能.comのサイトからあらすじを引用します。

平家の武将、平重衡は源平の戦いに臨み、連戦していましたが、一の谷の合戦で源氏方の捕虜となりました。重衡はそのまま鎌倉へ護送され、源頼朝の家臣である狩野介宗茂の館に預けられます。頼朝は、虜囚の身となった重衡をいたわしく思い、侍女の一人である千手の前という女性を派遣し、重衡を慰めていました。

その日も折からの雨のなか、千手の前が、琵琶や琴を携えて重衡を訪問しました。重衡は気乗りしない様子でしたが、宗茂の手引きもあって千手と対面します。かねてより重衡は、出家したいとの望みを持ち、千手を通じて頼朝にお伺いを立てていました。重衡が千手にそのことを尋ねると、千手は、朝敵とされた身の上ゆえに、自分の一存では決められず意に沿えない、という頼朝の言葉を重衡に伝えました。重衡は、これも父である平清盛の命を受けて、南都(奈良)の寺を焼打ちにした罪咎であろう、と悲嘆にくれました。

沈みがちな重衡のために宗茂が酒宴を催すと、千手は、重衡に酒を勧め、朗詠を吟じて、少しでも彼の心を引き立てようとします。さらに千手は舞を舞い、重衡も興に乗って琵琶を弾き、また千手も琴を弾き合わせ、夜は更けていきました。やがて、琴を枕に仮寝した短い夜も明けました。その朝、勅命により重衡は都へ送られることとなり、二人は互いに袖を濡らし別れを惜しみます。鎌倉を離れる重衡を、千手は涙ながらに見送るのでした。

・・・・・・・・・ここまで

 免れられない死を目前にした重衡と、千手との心(だけではなさそう)の交流が目にも耳にも美しく描かれていて、切実さに心を打たれました。

 素謡では、義太夫の素浄瑠璃と同じように、情報がほぼ聴覚だけに限られます。演者は能の普通の公演のように面と装束を着けたりしませんし、舞も舞いません。囃子方も入らないので、集中して謡を聴くことができます。情報が耳からだけに限られると、意外なほど想像力がよく働いて、その場の情景が目の前に浮かび、人物の心情がよくわかります。これは義太夫の素浄瑠璃でも同じです。

 普通の公演も好きだけれど、素謡はもっと好き。それに、謡を習っていると、上手な人の謡を聴くことが何よりの勉強になります。今年は素謡を聴く機会をもっと増やすつもりです。

 

 庭の水仙です。

 

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