能「二人静」を見ました
1月8日(月・祝)の午後、大津市伝統芸能会館で能「二人静」を見ました。主な出演者は次のとおりです。
シテ 女、静御前の霊 片山九郎右衛門
シテツレ 菜摘女 味方 玄(しずか)
ワキ 神職 原 大
大鼓 河村 大
小鼓 吉阪 一郎
笛 森田 保美
以下、チラシからあらすじを転載します(一部、表記を変え、適宜改行しています)。
まだ雪の残る早春の吉野・勝手明神。正月七日の今日は神事のため、神前に供える若菜を摘みに菜摘川の野辺へ出た娘は、どこからともなく現れた女に呼び止められます。
女の頼むところによると、罪業深きこの身ゆえ社家の人々に一日経(大勢での写経)の供養をお願いしたいとのこと。もしこのことづてを疑われるようなら、その時は私があなたに取り憑き名乗って詳しく話そうと告げて、かき消すように失せてしまいました。
驚いた娘は戻って神職に事の経緯を伝えます。自らの体験を疑ううち、憑かれたようになる娘。その名を神職に問われ、徐々に静御前であることを仄めかし、身の上を語り始めました。
静であれば隠れなき舞の上手、神職から弔いと引き換えに舞を所望された娘は、宝蔵に納められていた舞の装束を言い当て、それを付けます。
いつしか娘と重なるように現れた静とともに、吉野山での義経の苦難を語り、頼朝の前で義経を想って舞った思い出の舞を時の歌「しづやしづ、しづの苧環繰り返し」に乗せて舞い始めます。
やがて恋の諦念になお懐旧の情を吐露しつつ、山桜を雪のように吹き散らせる松風に、「静が跡を弔ひ給へ」と合掌するのでした。
・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・
静御前の霊に取り憑かれた菜摘女は神職が蔵から取り出した装束に舞台の奥で着替え(物着)、舞います。
そこへ当の静御前の霊が登場して、連れ舞いをするのです。二人の装束はほぼ同じ。舞の動きも見事にシンクロしています。
一度、イベントで体験させてもらったことがあるのでわかるのですが、能面をつけると、能楽師の視界は極端に狭いのです。シテとツレにはお互いの動きはおそらくほとんど見えていません。
それなのに二人の動きが見事に関連付けられて見えるのは、双方が強い気配を放ち、互いに相手の気配を正確に受け取って動いているからでしょう。
二人はすぐそばにいるとは限らず、あいだが5メートルほど離れている場面もあります。そんなときも、この気配のキャッチボールは正確に行われていました。
舞台上で二人が舞うとき、静の霊は少しだけ菜摘女より後ろに下がっています。この位置関係から、静の霊が菜摘女を支配していることが感じられました。
かと思うと、霊は橋掛かりに下がって座り、菜摘女が舞台で一人で舞うのを見ています。こうなると、もはや菜摘女は静の霊の思念が映し出した幻のように思えてきました。
けれど、静の霊そのものも幻なのです。現(うつつ)と幻と、その境界があいまいになり、何が現実なのかわからなくなってしまいました。
二人の舞は終始美しく、装束も素晴らしい。幻想的な世界に引き込まれ、息もつかずに見つめ続けて、いつの間にか終演のときを迎えてしまいました。