冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「道成寺」(大槻文藏裕一の会 大槻秀夫三十三回忌追善公演)

 なかなか書けずにいた「道成寺」(大槻能楽堂、11月12日)の話です。日にちが経つと記憶がどんどん薄れてしまって。。。当日、プログラムに書き込んだメモ書きと、かすかな記憶を頼りに記していきます。

 文藏さんのお父さん、大槻秀夫さんの三十三回忌追善公演とあって、出演者の顔ぶれがとても豪華でした。プログラムの最初は舞囃子「安宅 延年の舞」です。

 「安宅」は歌舞伎の「勧進帳」の元になった演目です。頼朝と折り合いが悪くなった義経は奥州(東北地方)を指して落ち延びていきます。全国指名手配の状態なので弁慶と数人の家来は山伏の扮装をし、義経には強力(ごうりき。荷物持ち)のなりをさせて、一行は安宅の関を越えようとしますが、頼朝の指図で「山伏がやってきたら決して関所を通してはいけない」というおふれが出ていて、制止されます。

 弁慶が関所の責任者の冨樫に東大寺再建の勧進(寄付集め)のために諸国を回っているのだと言うと、冨樫はそれなら勧進の趣旨を書いた「勧進帳」を持っているはずだから読めと迫ります。弁慶は巻物を取り出し、朗々と読み上げます。実はその巻物には何も書かれていないのです。

 弁慶の機転で安宅の関を無事に通過した義経主従に冨樫が追いついて、酒を振る舞います。弁慶は冨樫の策略かと疑いながらも豪快に酒を飲み、座興に「延年の舞」を舞います。最後まで気を許さず、やがてその場を離れて奥州へ向かっていくのです。

 舞囃子は一曲の見どころ聞きどころの部分をお囃子、地謡入りで上演する形式。シテの弁慶は大槻文藏さんです。ずいぶん昔、大槻能楽堂で「安宅」が日替わりのシテで3日続けて上演されたことがありました。そのうち1日を見に行きました。シテが誰だったか、覚えていないのですが、激昂して冨樫に詰め寄ろうとする山伏たちを弁慶が必死で抑えて、勧進帳を読み上げることにする場面が凄まじい気迫だったことだけ、記憶に鮮やかです。舞台上の登場人物が多くて能にしては華やかなのですが、その頃よく見ていた歌舞伎の華やかさとはまったく違うことに驚きました。

 今回の文藏さんの「延年の舞」も凄まじい緊迫感でした。ほかの山伏たちは登場せず一人きりで、弁慶の装束もつけず着物と袴だけで演じるのに、その場面の様子がまざまざと目に浮かぶようです。前半は「動」、後半は「静」と変化して、「静」の場面でじっと座っているときの濃密な空気感も強烈でした。この舞囃子で開演直後から興奮してしまいました。といっても能を見たときの興奮は歌舞伎を見たときの興奮とは違っていて、「静かな興奮」というようなものです。

 大鼓と小鼓はTTRのお二人。大鼓の山本哲也さんは無事に病気から復帰されたようでよかったです。笛は杉信太朗さん! この3人(小鼓は成田達志さん)のお囃子が聞けただけでも来た甲斐があったというものです。

 続いて狂言「川上」。初めて見る演目でした。シテは野村万作さん。シュールな展開に現代的なものを感じました。狂言って奥が深いです。

 仕舞「卒塔婆小町」、観世銕之丞さん。一調「江口」、観世清和さん。大鼓は亀井広忠さん。同じく一調「巻絹」、プログラムでは梅若桜雪さんのはずでしたが休演で梅若猶義さんが代演。太鼓は三島元太郎さんでした。一調というのは、曲の中の一部分をシテ方能楽師が舞い、小鼓・大鼓・太鼓のうちのどれか一つが演奏する形態です。

 この中で一番良かったのは観世清和さんの「江口」でした。謡というとモゴモゴして何を言っているのかよくわからないというイメージがありますが、清和さんの謡は発音や発声がくっきりはっきりしていて非常に聞き取りやすい。それで能らしい雰囲気が壊れるかというとまったくそんなことはなくて、心にまっすぐ届いてくるものを感じました。「江口」はそれほど好きな曲ではないのに、不思議なほど感動しました。

 清和さんは観世流の家元ですが、だから上手というようなことではないのです。私の習っている謡の教室の先輩は清和さんの芸を「ちっともいいと思わないし嫌い」と言っています。だけど私は以前から清和さんの謡になぜか強く心を惹かれていました。この日もそれを再確認しました。

 長くなりましたので肝心の「道成寺」については次の記事に書きます。