冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「檜垣(ひがき)」 大槻能楽堂(9月18日)

 「檜垣」はあまたある能の曲の中でも最も扱いの重い作品の一つで、めったに上演されません。シテ(主人公)の檜垣の女は別格の上手でなければ演じきれない難しい役です。その「檜垣」が、私の一番好きな能楽師さん=大槻文藏さんのシテで見られることを知って、大槻能楽堂へ行きました。

 あらすじを銕仙会のサイトからお借りします。

 肥後国 岩戸山に籠もって修行する、一人の僧(ワキ)。彼のもとには、一人の老女(前シテ)が毎日やって来ては、仏前に供える水を捧げていた。ある日、僧が老女に名を尋ねると、彼女は『後撰集』に見える歌人・檜垣の女の霊と名乗る。彼女は、年老いて白川のほとりに住んでいた折に藤原興範に水を請われ、歌を詠んだことを語ると、白川で自らを弔ってくれと頼み、姿を消すのであった。

 僧が白川を訪れると、女の霊(後シテ)が年老いた姿で現れ、消えやらぬ執心ゆえに今なお地獄で水を汲み続けているのだと明かす。彼女は、興範に請われて老残の舞い姿を見せた思い出を語り、舞を舞うのであった。

・・・・・・・・・ここまで

 美貌と才能を誇っていた女性が歳を取ってから無惨に老いさらばえて、若い頃の驕慢ゆえに地獄の責苦に苛まれ成仏を願うという大枠の組み立ては、「卒塔婆小町」(主人公は小野小町)にも見られます。仏教の「無常」を感じさせるのに格好の題材なのでしょう。

 そんなことを言うなら光源氏こそ一番の題材になりそうなものなのに、光源氏を主役にして同じような話にした曲はありません。能の作者は男性ばかりなので、女性に厳しく男性に甘いのかもしれません。ちなみに「檜垣」は世阿弥の作です。

 「光源氏は小説の登場人物だからじゃないの?」と思う方もいるかもしれませんが、それは違います。同じ「源氏物語」の登場人物、夕顔が主人公の能に「半蔀」「夕顔」がありますし、「葵上」「野宮」は六条御息所が主人公なのです。

 天野文雄さんの『能楽手帖』(角川ソフィア文庫)によると、「檜垣」では高齢になってから藤原興範という人物に請われて白拍子の舞を舞ったことも罪障の一つとされているのですが、ここが私には腑に落ちません。自分から進んで舞ったわけではないし、本人はどんなにか恥ずかしかっただろうと想像すると可哀想になります。その行動が罪だと決めつけられるなんて酷すぎると思うのです。

 文藏さんの舞台はいつも揚げ幕から歩み出てくるところから、濃縮されたような強い存在感に目が吸い寄せられます。次には装束の見事さに驚嘆します。前半は唐織の着流し。遠目にも金糸がふんだんに使われていることが見て取れて、とびきりの豪華さ、上品さです。

 後半では淡いクリーム色地に蝶などを金で散らした長絹、ごく淡くグレーがかった青磁色の大口袴。白拍子の装いなのだそうです。老残の哀れさを表現しているはずなのに、とてもきれいで、聖性すら感じてしまいました。ただ、面(「檜垣女」)は年老いて痩せ衰えた女性の顔なので、角度によってはどきっとするほどの弱々しさが伝わってきました。

 文藏さんは足が衰えてきているようで、前半では一度、座っている姿勢から立ち上がるとき、裕一さんに後ろから支えてもらっていました。能楽師自身が老いというものを実感しているからこそ、「檜垣」のような曲を演じることができるのかもしれません。

 ちなみに『後撰集』に見える歌というのは「年経ればわが黒髪も白川のみつわぐむまで老いにけるかな」というもの。「みつわぐむ」という言葉には、「老い屈まる(かがまる)」と「水を汲む」の二つの意味があるのだそうです。 

 私にはまだ理解不能な部分もあり、途中で眠くなってしまった時間もありました。何せ2時間以上の長丁場なのです。それでも見ておいて良かったです。能のファンとして財産になる体験でした。

 プログラムでは小鼓 成田達志、大鼓 山本哲也と、TTRのお二人の名前が並んでいましたが、山本哲也さんはやはりまだ休演で、河村大(まさる)さんが代演されました。このお二人のお囃子がとても良かったです。

 アイの狂言方囃子方、それに後見の方々も床に引きずるような長い袴を着けているのが目を引きました。やっぱり格の高い演目だから、装いも格の高いものだったのかな。私のように「ぜひ見ておかねば」と思った人が多かったのか、客席はほぼ満席でした。着物姿の女性もたくさんいました。 

追記;この公演は「野口傳之輔卒寿記念 能と囃子の会」の中で上演されました。野口傳之輔さんは森田流の笛方さんで、関西での重鎮のようです。