冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

2022年 観能記

 春ごろまで、鑑賞した能の公演について書いていましたが、その後はサボっていました。記録を残しておきたいので、簡略に記しておきます。

3月26日 大槻能楽堂 喜多流「邯鄲(かんたん)」 シテ 粟谷明生

 チラシなどの資料を処分してしまったので、ワキやお囃子をどなたが務めておられたのかがわかりません。

 「邯鄲の枕」という有名な故事をもとにした作品です。あらすじを能.comのサイトからお借りします。

昔、中国の蜀という国に、盧生(ろせい)という男が住んでいました。彼は、日々ただ漠然と暮らしていたのですが、あるとき、楚の国の羊飛山に偉いお坊さんがいると聞き、どう生きるべきか尋ねてみようと思い立ち、旅に出ます。羊飛山への道すがら、盧生は邯鄲という町で宿を取りました。その宿で、女主人に勧められて、粟のご飯が炊けるまでの間、「邯鄲の枕」という不思議な枕で一眠りすることにしました。邯鄲の枕は以前、女主人がある仙術使いから貰ったもので、未来について悟りを得られるといういわくつきの枕でした。

さて、盧生が寝ていると、誰かが呼びに来ました。それは楚の国の皇帝の勅使で、盧生に帝位を譲るために遣わされたと言うのです。盧生は思いがけない申し出に不審がりながらも、玉の輿に乗り、宮殿へ行きました。その宮殿の様子と言ったら、壮大で豪華絢爛、驚くほど素晴らしく、極楽か天宮かと思われるほどでした。

盧生が皇帝になって栄華をほしいままにし、五十年が過ぎました。宮殿では、在位五十年の祝宴が催されます。寿命を長らえる酒が献上され、舞人が祝賀の舞を舞うと、盧生も興に乗り、みずから舞い始めました。すると昼夜、春夏秋冬が目まぐるしく移り変わる様子が眼前に展開され、盧生が面白く楽しんでいると、やがて途切れ途切れになり、一切が消え失せます。気づけば宿の女主人が、粟ご飯が炊けたと起こしに来ていて、盧生は目覚めます。皇帝在位五十年は夢の中の出来事だったのです。

五十年の栄華も一睡の夢であり、粟ご飯が炊ける間の一炊の夢でした。盧生はそこでこの世はすべて夢のようにはかないものだという悟りを得ます。そしてこの邯鄲の枕こそ、自分の求めていた人生の師であったと感謝して、望みをかなえて帰途につくのでした。

・・・・・・・・・ここまで

 

 結末の評価はさておき、変化に富んでいるので見ていてとても面白い作品でした。と言いつつ、最初の方と終わりの方をしっかり見ただけで、間はうつらうつらしていました。

 粟谷明生さんは人間国宝だった父君、粟谷菊生さん(故人)の教えを受け継ぎながら自分なりの解釈を加えてさまざまな挑戦をなさっています。

awaya-akio.com

 このブログ、能の曲を実際に演じてみてわかったことが書かれていて、いつも興味深く読んでいます。

 

4月9日 篠山春日能 観世流二人静」「天鼓」 前に書いたので省きます。

6月25日 大槻能楽堂 観世流「三山(みつやま)」 シテ 武富康之

 チケットを取ってあったのに、山の会関係の用事が入って行けなかった(涙)。

 武富康之さんは私の謡の先生です。「三山」はめったに上演されない曲だし、見たかったです。銕仙会能楽事典のサイトから、あらすじをお借りします。

 念仏の教えを弘めるべく、大和を訪れた良忍上人(ワキ)。彼が名所・大和三山のひとつ耳成山に向かうと、一人の女(前シテ)が現れる。聞けば、この大和三山には、ある昔物語が伝わっていた。それは、耳成の里の女・桂子(かつらご)と、畝傍の里の女・桜子(さくらご)とが、香具山の男を巡って争い、恋に敗れた桂子は耳成池に入水したというもの。そう明かした女は、自分こそその桂子の霊だと明かすと、耳成池の水底へ姿を消すのだった。
 その夜、良忍が三山の故事を偲んでいると、桜子の霊(ツレ)が現れる。耳成の山風に吹き揉まれ、苦しんでいると訴える桜子。するとそこへ、例の桂子の幽霊(後シテ)が姿を現した。恨みの言葉を述べつつ、桂の枝で桜子を打ち据える桂子。しかし桜子もまた、負けじと桜の枝で対抗する。そうする内に夜は明け、二人は消えてゆくのだった。

・・・・・・・・ここまで

 

9月3日 京都観世会館 観世流「融(とおる)」 シテ 橋本光史

 資料を処分してしまったので、シテ以外の演者がどなただったかわかりません。「融」は有名な曲で、よく上演されます。前にも見たことがあるのですが、よくわからなくて眠くなってしまいます。この日もまた! 眠ってしまいました。

 銕仙会能楽事典からあらすじをお借りします。

東国出身の僧(ワキ)が京都六条「河原の院」に着くと、汐汲みの老人(前シテ)が現れる。老人は僧に、この地は昔の源融(みなもととおる)の邸宅の跡であると教え、二人は河原の院の情趣をともに楽しんでいたが、老人は源融の物語を語ると、昔を慕って泣き崩れてしまう。やがて、僧に請われて近隣の名所を教えていた老人は、汐を汲もうと言うと、そのまま汐曇りの中に姿を消してしまうのだった。この老人こそ、源融の霊であった。その夜、僧の夢の中に源融の霊(後シテ)が在りし日の姿で現れると、月光のもとで、懐旧の舞を舞うのであった。

・・・・・・・・・ここまで

 源融光源氏のモデルと言われる人物です。宇治の平等院は融の広大な別荘だったとか。この曲に出てくる六条河原院も12,000坪の広大な邸だったそうです。野球の甲子園と同じくらいの広さです。

 開演に先立って、シテを演じる能楽師さんがなさった解説がとてもわかりやすくて良かったです。若手ばかりの公演だったからか、チケット代は2,500円と格安でした。

 長くなったので、続きは後日書きます。

 

 読み直してみると、眠ってしまっただの、行けなかっただのばっかりだ…。