冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

2022年 観能記 つづき

 9月10日 宝生流 「小督(こごう)」 枚方市総合文化芸術センター 七宝会公演

  シテ 山内崇生 ワキ 福王和幸 トモ 柏山聡子 局 石黒実都 アイ 茂山千之丞

  地謡 辰巳満次郎ほか 

  大鼓 山本寿弥 小鼓 上田敦史 笛 貞光智宣 

 当日もらったプログラムからあらすじをお借りします。

 

 平安末期、平清盛の権勢に恐れて出奔した愛人・小督局への未練から、政務も手につかなくなっていた高倉天皇天皇は局の在処を尋ねるべく、源仲国のもとへと勅使(ワキ)を派遣する。

 勅命を受け、恩賜の駒(注・馬のこと)を賜った仲国(シテ)は、局が身を寄せていると噂の嵯峨野へと、駒を走らせ向かってゆく。

 折しも八月十五夜。嵯峨野の民家に匿われていた小督局(ツレ)は琴を弾き、天皇を慕って「想夫恋」の楽を奏でていた。そこへやってきた仲国。かねて局の琴の音色を聞き覚えていた彼は、琴の音を便りに尋ねてきたのだった。天皇の手紙を渡す仲国へ、自らの想いを吐露する局。そんな彼女を慰めるべく仲国は酒宴を催し、局の想いに寄り添うと、彼女の言葉を天皇へ届けるべく、都へ帰ってゆくのだった。

・・・・・・・・ここまで

 この日はほかに仕舞二番、能「岩船」、狂言「舟船」が上演されましたが、「小督」が一番良かったです。「小督」というタイトルなのに、シテは仲国で小督はツレ、というのが不思議。でも、仲国の様子や気持ち、小督の想いが、嵯峨野という場所の持つイメージとうまくかみ合って、悲哀のにじむ情趣がひたひたと感じられました。

 

 9月19日 観世流「阿漕(あこぎ)」湊川神社神能殿 TTR能プロジェクト二十周年新企画公演

 シテ 味方玄 ワキ 江崎欽次郎

 大鼓 山本哲也 小鼓 成田達志 笛 斉藤敦 太鼓 前川光範

 地謡 浦田保親ほか 

 銕仙会能楽事典からあらすじをお借りします。 

 伊勢の海を訪れた旅の僧(ワキ)。そこに一人の漁翁(前シテ)が現れ、この浦は古歌にも詠まれた旧蹟・阿漕浦だと教える。その古歌に詠まれたのは、この浦の漁師・阿漕をめぐる物語。この浦で密漁を重ねていた阿漕は、ついに露見して殺害され、死後もなお罪の苦しみに苛まれていたのだった。そう語り終えるや否や、にわかに風が吹き荒れて辺りを闇が覆い、漁翁の姿は消えてしまう。実はこの漁翁こそ、阿漕の亡霊であった。

 僧が弔っていると、地獄の呵責に憔悴した阿漕の霊(後シテ)が姿を現した。今なお密漁への執念を捨てきれず、阿漕は網を曳いて殺生の業をくり返す。そうする内、彼の周りに現れた地獄の業火。魚たちは悪魚毒蛇と変じて阿漕に襲いかかり、冥土の呵責が彼を責め立て、追い詰めてゆく。阿漕は苦悶の声を遺し海底に消えてゆくのだった。

・・・・・・・ここまで

 毎回楽しみにしているTTR能プロジェクトの公演です。舞囃子が5つ、能が一つという贅沢なプログラム。ところがこの日は台風が接近していて、開催が危ぶまれました。結局、予定通り開かれはしたのですが、解説抜き休憩抜きで次々と上演して、予定より早く終わることに。TTRの公演は解説が詳しく面白くて、それも楽しみの一つなのに残念でした。

 「阿漕」の内容は前から知っていましたが、舞台で見るのは初めて。シテが、職業だから仕方なく漁をするという段階から、漁をすることに快楽を覚えてやめられなくなるという段階へ移行するところが興味深かったです。

 どんな仕事でも、そこに楽しさが感じられるから続けようという意欲が湧くわけですから、当たり前の話ではあるのですが、仏教の教えから言うと、殺生は罪。ましてそこに快楽を覚えるなんて、とんでもないことなんですね。

 考えてみれば人間はみな、生き物の命をもらわなければ生きていけないわけで、日々、殺生の連続です。狩りや釣りが趣味の人だっています。今の時代、誰もそれを責めたりはしません。

 ですが、命をもらっている相手、さまざまな生き物や自然への感謝の気持ちを忘れたら、その時点で人間の行いは罪になっているような気がします。グルメにうつつを抜かして山の恵み海の恵みを蕩尽してはばからない。だから今、自然が牙をむいて人間に襲いかかるようなことが増えているのでは? そんなことを考えてしまいました。

 

10月22日 観世流「三輪 白式神神楽」大槻能楽堂自主公演700回記念公演

 シテ 大槻文藏 ワキ 宝生欣哉

 笛 杉信太朗 小鼓 成田達志 大鼓 亀井広忠 太鼓 前川光範

 地謡 梅若桜雪ほか

 銕仙会能楽事典からあらすじをお借りします。

 三輪山中に庵を結ぶ玄賓僧都(ワキ)のもとに、いつもやって来ては花水を捧げる女(前シテ)がいた。晩秋のある日、夜寒をしのぐ衣を玄賓から授かった女は、自分は三輪の里に住む者だと名乗ると、杉の木を目印に訪ねて来てほしいと告げ、姿を消す。

 そこへ里の男(アイ)が訪れ、玄賓の衣が三輪明神の神木の杉に懸かっていたと教えられる。実は先刻の女こそ明神の化身であった。玄賓がその神木のもとへ行くと、三輪明神(後シテ)が出現し、玄賓に感謝を述べる。明神は、自ら罪を背負うことで人々を仏道へ導くわが身の行いを明かし、いにしえ男の姿で現れ一人の女のもとへ通った故事を語る。明神はさらに、先刻の受衣こそが罪の苦しみを和らげる法の恵みであったと明かすと、その礼として天岩戸の神秘を見せ、神道の奥秘を玄賓に伝えるのだった。

・・・・・・・・ここまで

 文藏さんの三輪明神が素晴らしかった! 白一色、それもクチナシの花のような柔らかい白の装束に身を包んだ姿の美しさ、神々しさは衝撃的と言ってもいいほどでした。ストーリーはどうでもよくなりました。見ていて、ただただ清々しい。見ているだけで清められ、祝福される気がしました。

 「三輪」という曲は、「翁」や「羽衣」と同じように、見る者を清め、祝福する曲なのでした。そして、そのような性質は、能という芸能が本来備えているものなんだなあと気づきました。

 後シテの装束は、垂髪(すべらかし)、白綾、白大口、白地狩衣、白地腰帯、鬘(かずら)扇、榊でした(「白式神神楽」という小書がついていない場合、大口袴は緋色になるようです)。

 この日は「石橋(しゃっきょう)」も半能形式で上演され、おめでたい曲が続いて楽しい気持ちになれました。

11月23日 観世流「野宮」大槻能楽堂 小鼓方・久田舜一郎、久田陽春子、高橋奈王子社中の素人会

 シテ 大槻文藏

 銕仙会能楽事典からあらすじをお借りします。

 晩秋の嵯峨野を訪れた旅の僧(ワキ)が昔の野宮の旧跡を拝んでいると、一人の女(前シテ)が現れる。折しも今日・九月七日は、光源氏が野宮にいた六条御息所のもとを訪れた日。女は往時の様子を語り、手にしていた榊の枝を神前に手向けると、その時の御息所の心の内を明かす。彼女は、自分こそ御息所の霊だと告げると、姿を消してしまうのだった。
 その夜、僧の夢の中に、牛車に乗った一人の貴婦人が現れる。彼女こそ、御息所の幽霊(後シテ)であった。御息所は、賀茂祭の車争いで負った心の傷を語り、寂しげな野宮の様子を見て感傷に浸りつつ、舞の袖を翻す。しかしやがて、彼女は再び車に乗ると、ひとり去ってゆくのであった。
・・・・・・・・ここまで
 小鼓を習っている素人弟子さんたちの発表会なので、無料で拝見することができます。小鼓以外の楽器を演奏する方や仕舞を舞う方はプロの一流の方ばかり。目にも耳にも贅沢極まりないひとときでした。まるで謡とお囃子のシャワーを浴びているようでした。
 舞囃子や一調が次々と上演される中に能も組み込まれており、なんと大槻文藏さんのシテで「野宮」が上演されたのです。無料で見られるなんて、信じられない!
 白鷹株式会社副社長で白鷹禄水苑の総合プロデューサーを務める辰馬(たつうま)朱滿子(すみこ)さんが小鼓を打ちます。白鷹は灘のお酒です。自分の習い事の発表会で、大槻文藏さんに能を舞っていただくとは、なんてすごいことをなさるんでしょう。
 焦茶色地で前身頃に金糸を贅沢に使って六条御息所を象徴する御所車を大きく描き出した見事な着物を着ておられました。まずそこに目が行ってしまいましたが、小鼓のほうもとてもお上手でした。かなりの水準に達していなければ、文藏さんにシテをお願いするなんて、やっぱりできませんよね。
 そんなことを考えたり感心したりしながら拝見した「野宮」でした。
 

12月17日 喜多流「阿漕」大槻能楽堂

 シテ 友枝昭世 ワキ 福王茂十郎 アイ 善竹隆司

 大鼓 白坂信行 小鼓 成田達志 笛 赤井啓三 太鼓 三島元太郎

 地謡 出雲康雅ほか

 友枝昭世さんの「阿漕」を見るのを楽しみにしていたのに、体調不良でダウン。チケットを無駄にしてしまいました。涙、涙です。

 これで2022年の観能はおしまい。新年はいつものように4日、大槻能楽堂の「翁」から始まります。ただ、今度の「翁」には大槻文藏さんは出演されないのです。悲しい〜。2024年のお正月にはまた文藏さんの「翁」が見られるよう、祈りたい気持ちです。