冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「碁」(大槻能楽堂)

 昨日、大槻能楽堂で能「碁」を見ました。大槻文藏さんが復曲(長く上演が途絶えていた作品を、史料をもとに再現し、上演すること。大槻文藏さんは多数、手がけておられます)した作品の再上演です。「大槻文藏 三番能 復曲の名曲を観る!」と題して、10月に「維盛」、今月はこの「碁」、12月には「菅丞相」を上演するというシリーズになっています。

 当日配られた立派な冊子から、あらすじをお借りします(一部、省略しています)。

 

 ある秋のこと、常陸の国の僧が都の三条京極へやってきた。そして、この地は歌人であった亡き父がいつも口ずさんでいた「源氏物語」の舞台の一つ、中川の宿りの跡であろうと、昔を懐かしく思い出す。

  空蝉の 身を変へてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな

 蝉が姿を変えて抜け殻だけが残った木の下のように、薄衣だけを残してあなたは去り、打ち捨てられてしまった私。それでも私は、あなたの人柄とあなたの抜け殻である薄衣が愛しくて、離れがたく思っているのですよ。

 光源氏が空蝉に贈った歌をそらんじていると、尼姿の女が現れて、自分の庵にお泊めしようと声をかける。僧が口ずさんだ歌が聞こえてきて、昔のことが恋しくてたまらなくなったのだという。

 女の様子を見て、僧は昔の思い出語りを乞うた。女は、では今宵この宿の碁を打ってお見せしようと告げ、空蝉と軒端の荻の碁の勝負のことを語り出すと、何を隠そう我こそは空蝉と打ち明け、袖を濡らして泣くと見るや消えてしまった。(中入)

 その夜、土地の者から光源氏と空蝉の物語を聞き、不思議な縁を感じた僧は、朽ち残った木の下で経を唱えて空蝉を弔っていた。

 すると夢うつつの中に、空蝉が軒端の荻とともに現れる。軒端の荻が光君への消えやらぬ思いを口にするのを空蝉はなだめ、昔のように二人で碁を打ち始める。それは、空蝉自身の罪を仏に告白する懺悔(さんげ)でもあった。

 碁は、仏教の教えを示し、悟りの世界に至るありさまを見せるもの。「源氏物語」を供養するかのように巻名尽しで差し手を連ねると、二人は碁を打ち始める。

 空蝉は負けて心乱れ、光源氏が忍んできた夜の出来事をありのままに見せる。あの時の光君の振る舞いが悔しくて、苦しくて、恋しくて、悲しくて、忘れられなくて…。と、気づけば空蝉も軒端の荻もいなくなった物語の跡に、僧が一人佇むだけであった。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・

 

主な出演者は次のとおりでした。

空蝉の霊  大槻文藏

軒端の荻の霊  大槻裕一

旅の僧  福王茂十郎

三条中川辺の人  茂山逸平

 

笛    杉 市和

小鼓   久田舜一郎

大鼓   山本哲也

 

 感想は次の記事に書きます。