冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「定家」(大槻能楽堂) そのまたつづき

 前置きばかりが長くなってしまいました。

 「定家」は、以前からぜひ見たいと思っていた曲で、この日、ようやく念願が叶いました。しかも顔ぶれがとても豪華(人間国宝3人、文化功労者1人)。こんな組み合わせで「定家」が見られるなんて、めったにないことだと思います。

 一番良かったのは、地頭(じがしら。地謡のリーダー)の梅若実さんでした。この方、ほんの数年前までは高齢とはいえ立派な体格で顔からもお体からも生命力が発散されているのがびしびしと感じられるくらいお元気でした。ところが病気をされて、急に衰えてしまわれました。最近お見かけしたのは京都観世会館での素謡でした。正座ができないようで、座面の低い椅子が特別に用意されます。舞台への登場、退場、椅子に座る時、立ち上がる時、すべて若手の能楽師さんが介助していました。

 それは今回も同様でしたし、お顔はますますやつれて老いが露わになっており、急速な衰えぶりは衝撃を受けるほどでした。

 ところが、地謡が始まると、印象は一変しました。地謡のメンバー8人は一斉に同時にうたうのですが、それでもときどき一瞬、地頭が早く出る時があります。その時の声の力強さ、豊かさ! 地頭にリードされて、地謡全体がいきいきと立体的な謡をしていました。全員の声が揃って、文字通り斉唱のようになると、その声はまるで別次元の世界から響いてくるように感じられました。地謡を聴いてここまで感動したのは初めてです。

 謡を習い始めて半年を過ぎた成果か、謡そのものも前より味わえるようになりました。シテの感情の高まりが感じられる高音部では心が震えます。下がっていく部分の下がり方はさまざまで、「よくできているなあ」と感嘆し続けていました。

 観世清和さんが演じるシテの装束はいつものことながら上品で見惚れてしまうくらい美しい。後シテはやつれた女の面をつける場合もあるらしいのですが、この日は美しい女性の面(泥眼ではありますが)。やつれた様子は観客が想像力で補うのです。体に葛がからまっているというのも実際にそうなっているわけではなく、イメージをふくらませます。

 笛の一噌(いっそう)庸二さんは初めてお目に(お耳に)かかりました。幕が上がる前の「お調べ」から、聞き慣れた杉市和さんや竹市学さんの笛とはずいぶん印象が違いました。あたりを払うような鋭さはなく、むしろ最初は違和感を覚えるほど弱々しく聞こえ、その後じっくりと心に染み込んでくる気がしたのです。調べてみると、この方は笛方一噌流のお家元で、81歳になられているようです。笛の吹き方も曲により、能楽師さんによって、ずいぶん多彩なんだと気づきました。

 しみじみと感じ入ったのは、舞台全体の美しさでした。中央あたりに能ならではの簡素な作り物の墓。後半ではそのすぐ後ろに後見の大槻文藏さんが控えています。その向かって左は銀髪の亀井忠雄さん。右は飯田清一さん。上手寄りにワキとワキツレの3人が片膝をたてて座っています。そのさらに上手寄りに地謡の集団。舞台上の全体に密度の高い空気が満ちており、程よい緊張感で揺るぎなく構成されていることがひしひしと感じられました。能は、それぞれのパートが自分の役割を果たし、連携し合って、一度きりの濃密な舞台を作り上げるものと、知識では知っていましたが、初めて実感としてわかったような気がしました。