冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「和魂Ⅷ 観世流vs宝生流 流儀大解剖!」湊川神社神能殿 続き

 観世流宝生流では、基本の姿勢、基本の所作、扇の持ち方など、どれも違っていました。たとえば基本姿勢は、観世流は少し腰を落とし気味にして立ちますが、宝生流ではさらに低く落として構えます。あの姿勢は筋肉が要るだろうなあ、きついだろうなあと想像しました。

 同じ曲でも謡い方、舞い方が異なります。宝生流の方が低音部が多くてどっしりした印象。それでいて「甲グリ(かんぐり)」という一番高い音も、観世流の謡より頻繁に使います。かなり声域の広い人でないと、とても謡えそうにありません。

 舞は、観世流は華やかでわかりやすく、観客に受けやすそう。宝生流は重厚で緻密です。おそらく(私の想像ですが)、宝生流の方が古い時代の能の表現方法をよく伝えていて、観世流ではそれが都会的に洗練されたのではないかと思います。

 圧巻だったのは、仕舞「羽衣」でした。観世流の味方玄、宝生流の辰巳満次郎のお二人が舞台で同時にそれぞれの流儀の舞い方で舞うのです。囃子方観世流のお囃子だったので、辰巳満次郎さんはやりにくかっただろうと思うのですが、そんなことは微塵も感じさせず、悠々と天人になっておられました。二人のシテがまったく異なる所作を繰り広げ、異なる軌跡を描いて、舞台上を自由自在に(と見えました)動き、決して衝突しそうになったりはしません。まるで完成された新作能? 能ではない何か別の芸能? を見ているようでした。

 異流合同舞囃子「乱(みだれ)」ではこれがさらにバージョンアップした印象でした。「乱」というのは「猩々(しょうじょう)」の特殊演出。水底に棲むお酒好きの妖精「猩々」が酔って楽しげに舞いあそぶ様子を表す部分です。これも味方玄さんと辰巳満次郎さんの競演でした。観世流は水を蹴り上げるような動作や波打ち際を小走りに移動するような動作が特徴で、濡れた頭を左右に振る動作は可愛らしいほど。宝生流では前の二つの動作は見られず、片足を上げたまま静止するところが何カ所かありました。頭を左右に振る動作はゆっくりしていて、ここでも観世流は華やか、宝生流は荘重という特色がはっきりわかりました。宝生流は総じて、下方向のベクトルが強くて大地を意識しているイメージ。呼吸をつめて、意識を内側に集中させ、それを一気に放つという心身の動きを中心に据えているように見受けられました。

 シテ方五流派のうち、能楽師の数、習っている人の数ともに圧倒的に多いのは観世流で、二番目が宝生流です。関西では観世流が盛んで、宝生流の公演を見る機会は少なく、私もまだ一度も見たことがありません。

 今回の公演を見て、見慣れた観世流とはまったく違う宝生流の魅力に惹きつけられました。ネットで調べましたが、やはり関西での公演は見つかりません。コロナ以前は少しは行われていたのでしょうが、今は難しいのでしょう。

 その代わり、Uチューブに動画がたくさんアップされていることがわかりました。ご宗家のインタビューもあり、若いのにびっくりしました(35歳くらい)。公演や仕舞、あれば素謡の動画をこれからぼちぼち見ていくつもりです。謡(観世流)のお稽古だけでもなかなか時間が足りないのに、そんなことをしている場合じゃないんですけどねえ。