冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

狂言「月見座頭」(大槻能楽堂)

 11月21日に大槻能楽堂で能「碁」を拝見したとき、それに先立って狂言「月見座頭」が上演されました。能と狂言はセットで、能の公演を見ると、狂言も見ることになります。今どきのお笑いと違って、狂言の笑いはテンポが緩やかでおおらか。良い気持ちになれて、その気持ちのまま、能の鑑賞に入ることができます。

 ただ、能ほどには魅力が感じられないので、今までは能のことだけを書いて、同じ日に見た狂言についてはほとんど触れてきませんでした。

 ところが、この「月見座頭」は強烈だったのです。

 まず大雑把なあらすじを記しておきます。

 ある秋のこと。座頭(目の見えない人の位の一つ)が虫の音を聞こうと、都の郊外の野原にやってきます。杖をついて歩きながら、さまざまな虫の音を聞き分け、楽しみます。

 そこへ一人の男がやってきて、月の眺め、虫の音を楽しむうち、座頭に出会います。男は、持っていた酒を座頭と酌み交わし、興に乗って舞を舞ったりし、座頭も舞います。

 楽しいひとときを過ごして二人は別れ、男は帰って行きますが、その途中、ふと気が変わり、座頭のところへ戻ると、座頭に暴力をふるって立ち去ります。

 さんざんな目にあった座頭は「さっきの人はいい人だったのに」とつぶやき、くしゃみを一つして帰っていきます。

 

・・・・・・・・・ここまで

 

 「いい人」と見えた人物が平気でおぞましい行為をやってのけるのです。一人の人間の中にはいろいろな顔がある、ということなのでしょう。SNSが普及して、ネットの世界でひどい暴言を吐く人たちが多数いるようですが、彼らもリアルな世界では善良な一市民だったりするらしい。その怖さに通じるものを感じました。「人間ってそういうものなのだよ」と教えてくれているのかもしれません。

 座頭は茂山七五三(しめ)、男は茂山逸平の親子共演です。逸平さんはもともと丸顔ですがさらにふっくらして、ますます祖父の四世千作さん(人間国宝)に似てきました。以前から思っていましたが、声が素晴らしく、能楽堂の中に朗々と響きわたります。

 逸平さんもとても良かったのですが、それにも増して心を打たれたのは七五三さんでした。杖を45度くらいの角度で前に突き出す、狂言独特の表現。市井の視覚障がい者の生活がリアルににじみ出ています。声がさらに素晴らしい。人生の年輪が感じられて、いつまでも耳を傾けていたくなるような味わいの深い声なのです。

 すごいものを見てしまった、という感覚が尾を引く名舞台でした。