冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「靱猿」、野村万作90歳の名舞台(大槻能楽堂)

 書いておきたいと思いながら、ついつい書きそびれていたことを記しておきます。

 1月4日に大槻能楽堂で能「翁」を見たとき、プログラムは「翁」の次に狂言「靱猿(うつぼざる)」、そして能「大会(だいえ)」でした。 最後の「大会」も見せ場が多くて楽しめる作品でしたが、その何倍も感動したのは「靱猿」でした。

 あらすじをウィキペディアから拝借します。

 猿引の連れている見事な猿を見た大名は、自分の靱(うつぼ)に用いたいからその猿の皮をよこせと言う。 猿引が断ると、ならば猿もろともお前も殺してやるとすごむ。 泣く泣く猿を殺すために猿引が杖を振り上げると、猿は芸の合図かと思い、一生懸命に「舟の艪を漕ぐ」仕草をする。 不憫でならないと泣き崩れる猿引。それを見た大名は己が非を悟り、猿を殺さぬよう命じる。 猿引は大名への礼として、猿に踊りを演じさせる。それを見て喜んだ大名は、自分も一緒に踊りだす。

・・・・・・・・・ここまで

 靱(うつぼ)というのは、矢を入れる筒のことで、大名は見るからに上等そうな、漆塗りに見える靱を背中に背負っています。

 出演は大名、野村万作。猿引、野村萬斎。太郎冠者、野村裕基。猿、三藤(みふじ)なつ葉、の皆さんでした。万作さんは萬斎さんのお父さんで、裕基さんの祖父です。

 狂言師の修行は「猿に始まり狐に終わる」とよく言われます。3〜4歳で初舞台を踏むことが多いらしいのですが、そのとき演じるのがこの「靱猿」の猿の役です。狐は「釣狐(つりぎつね)」の主人公。この役を演じることが卒業試験のようなもので、これをやり遂げたとき、一人前の狂言師としてスタートラインについたと評価されるのです。

 そんな猿の役を演じた三藤なつ葉さん。猿の着ぐるみを着て、面をつけ、猿引役の萬斎さんの背中にくっつくようにして登場しました。7歳だそうですが、小柄で、もっと幼く見えます。

 でんぐりかえりをしたり、体についたノミを取るような仕草をしたり。ときどきお尻を掻いたりもします。その仕草が愛らしくて、見ていて笑みがこぼれました。見事な初舞台です。

 前半、なつ葉さんの愛らしさとは対照的に見える大名役の万作さん。自分の持ち物を飾るために生きている猿を殺すことを平気で命じる、冷酷な人物です。しかも猿引との会話は終始、太郎冠者を通じてで、直接には言葉のやりとりをしようとしません。そんなところにも傲慢な印象を受けます。

 このままでは可愛い猿が殺されてしまう…と心配になりますが、大名がやっと考えを変えて、猿が芸を見せる場面になります。猿引の指図にぴったり息を合わせて、猿が舞います。それを見ていた大名も猿の真似をして舞います。この場面が最高でした!

 万作さんは高齢なので、さすがにゆっくりめの動きなのですが、それでも跳躍したり転がったりするのです。びっくりしました。90歳だなんて、信じられない! 

 初めはそれほどでもないのですが、猿の真似をしているうちに次第に興が乗って、楽しそうに舞い始めます。万作さんの体全体から喜びが溢れ出ています。なつ葉さんは萬斎さんの姪で万作さんの孫なので、孫への愛情がおのずから湧き上がってくるのでしょう。親子3代で「靱猿」を演じることができる喜びがみなぎっているようにも見えました。どんな名演技も敵わない、生命賛歌の感じられる舞でした。

 萬斎さんはなつ葉さんの愛くるしさと万作さんの滋味あふれる演技を引き立てるような、抑えめの演技。太郎冠者の裕基さんと4人のバランスが絶妙で、幸せな気持ちになれた、超一級の「靱猿」でした。