冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「融(とおる)」を見ました

 先週、京都観世会館で京都観世会六月例会を見ました。プログラムは能「小督(こごう)」、狂言「文山賊」、能「杜若 恋之舞」と盛りだくさん。私が見たかったのは締めくくりの能「融」でした。「白式舞働之伝」という小書が付いていましたが、その部分はよく見ていません。


 以下、チラシのあらすじを転載します(適宜、改行しています)。

  東国の僧が都に上って、六条河原院の跡に着いて休んでいると、田子(注:たご。竿の両はしに小ぶりの桶を吊るしたようなもの)を担った老人がやってくる。
 この辺りの人かと尋ねると、この所の汐汲みだと答える。僧が海辺でもない土地で汐を汲むとはおかしいと言うと、ここは昔、源融公が広大な屋敷を造り、庭内に陸奥の塩釜の景観を移したところであると答える。
 老人は僧の問うままに、融が日毎に難波の浦から塩水を運ばせ、ここで塩を焼かせるという豪奢な風流を楽しんだが相続をする人もなく荒れ果ててしまったことを物語る。
 そして遠江の名所を教え、やがて汀に立ち寄って汐を汲むかと思うと、姿は消え失せる。
  中入

 その夜、僧がそこで仮寝をしていると融公が貴人の姿で現れ、昔を偲んで舞を舞い、夜明けとともに月の都へと帰ってゆく。

・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・

 前シテは青灰色の面をつけた老人です。見るからに亡霊のように見えました。
 と、ここでストンと眠りに落ちてしまい、はっと気がつくと後シテが登場していました。
 上下とも純白の装束です。よほど上質の絹なのでしょう、柔らかい光沢を放って実に美しい。面は、なんという名前のものかわかりませんでしたが(こういうところ、大月能楽堂なら入り口で配る資料にちゃんと書いておいてくれます)、表情豊かで魅力的でした。

 栄華を誇った昔を偲ぶというのだから、哀愁の漂うゆるやかな舞かと思っていたのに大違い。若さを表現するような颯爽とした舞です。そのかっこよさと言ったら! 舞台狭しとおおらかでスピード感のある舞を見せ、その勢いのまま、去って行きます。驚きでした。

 あとで「能楽ハンドブック」を読むと、「月を中心に構成された作品で、融の大臣には、仲秋の名月の夜に現れた月の精の面影がある。ワキが僧でありながら読経一つしないのも、ここに理由があるのかもしれない」と記されていました。

 作者は世阿弥。シテは観世銕之丞が演じました。囃子方の中では大鼓の河村大と笛の杉市和が良かったです。

 京都観世会館は、冬は暖房が弱くて寒く、夏は冷房が効きすぎて寒いです。閉館になった大阪能楽会館のような古い建物ならまだしも、比較的新しい建築なのに、観客に優しくないのはなぜでしょう。
 私はマフラーを首に巻き、ショールを膝に乗せ、その上、カイロを両方の太ももの上に貼って鑑賞しました。この防備体制が気持ちよくて眠ってしまったのかもしれないです。