冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

和ろうそく能「敦盛」を見ました 続き

 能「敦盛」は全部を上演すると1時間半ほどかかる曲です。ここでは時間の制限があるので、半能、つまり後シテの部分だけが上演されました(その中でも、省略された部分があったかもしれません)。


 西宮能楽堂では半能の形での上演が多いです。ここで解説付きで半能を観てとっかかりをつかみ、いずれほかの機会に全部を観ればより深く味わうことができる、ということだろうと私は理解しています。

 和ろうそくが灯され、照明は消されました。普段は経験することのないような暗さです。囃子方地謡が登場すると、衣擦れの音でしょうか、着物や袴がすれ合うサラサラという音が大きく聞こえます。普段の能舞台ではほとんど意識しない音です。

 ワキが登場します。先にも書きましたように、敦盛を討った熊谷直実が出家して蓮生と名乗った姿です。
 名乗りの後、ワキ座へ進むとき、足袋が床をする音が響きました。脇座でターンして舞台中心に向いて座るときには足元に強い圧力がかかるのでしょう、キュッキュッという音が大きく聞こえて、少々驚きました。視覚を制限されると、途端に、聴覚が鋭くなるようです。

 後シテの敦盛が登場します。貴族の若者の出で立ち。豪華な装束です。演じるのは梅若基徳さん。この方は体が大きいので、16歳の少年にはちょっと不向きだなあと感じてしまいました。

 いつもの上演では向かって右の壁にプロジェクターで謡の詞章が表示されるのですが、この日はさすがにそれはありませんでした。そこまで予想しておらず、詞章の下調べをしてこなかったのを少し悔いました。
 でも、敦盛と熊谷直実をめぐる話は大幅に脚色されて歌舞伎の「熊谷陣屋」でたびたび見ています。聞き取れる言葉を拾って、なんとか理解しようと努めました。

 ところが、お囃子の威勢が良すぎて、シテの謡も地謡も十分聞き取れない部分が多かったです。ここはもう少し音量のバランスを考えて欲しいものです。

 蓮生は敦盛の供養のために須磨を訪れます。その夜、蓮生の前に敦盛の霊が現れ、生前の復讐をしようとします。蓮生は念仏の功徳の前に因縁など存在しないと告げ、敦盛は懺悔として生前の様子を物語ります。
 やがて再び妄執の心を起こした敦盛は蓮生に斬りかかりますが、一心に弔う蓮生の姿を見て回心し、「あと弔うてたべ」と告げて消えていきます(当日配られたパンフレットより。一部書き換えています)。

 そうでなくても面をつけると視界は極端に狭くなるのに、和ろうそくのほのかな灯りだけで舞うとは、すごいことです。しかもかなりテンポの速い舞なのです。
 敦盛から伝わってくるのは憎しみや悲しみといった生の人間の感情ではなく、生者とも死者とも分かち難いものの存在感でした。
 戦さなどするよりも、大好きな笛を吹いていたかった16歳の少年。彼がまとっている空気が風のように感じられ
ました。

 殺した側の人間が、殺された人間の亡霊の恨みを鎮め、弔う。なんという発想の大転換でしょう。
 世阿弥の作です。現代人に十分通じる作品だと思います。

 次回は8月4日(土)。引き続き「和ろうそく能」で、半能「夕顔」が上演されます。