冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「敦盛」そのまた続き

 ワキの熊谷次郎直実(源氏方)が出家して僧になったのは、わずか16歳の敦盛を殺してしまったという悔いが引き金になっています。その背景には、敦盛と同い年の息子をこの戦いで失った悲しみが潜んでいるのです。

 戦争ですから、直実はたくさんの平家方の武士を殺したのでしょう。そのことがまず気持ちの中に沈殿していて、そこへ、自分の可愛い息子が戦死した。そして次にはその息子と同い年の敦盛を殺す羽目になるのです。

 これはおそらく平家物語の記述だろうと思うのですが(確かめていなくてごめんなさい)、直実は相手がまだ少年だと気づいた時、殺すのをためらうのです。敦盛が自ら名乗るのを聞けば、死んだ息子と同い年! 
 なんとか落ちのびさせようとするのですが、味方の軍勢が押し寄せてきていて、どうしてもそれができません。

 心ない者の手にかかるよりは、と決心して、ついに敦盛を斬り殺すのです。
 こんないきさつがあって、その後、直実はとうとう武士の身分を捨て、何もかも捨てて出家します。

 歌舞伎の「熊谷陣屋」はもっと劇的です。直実が殺したのは実は自分の息子で、敦盛の命は助けた、というストーリーになっているのです。つまり、敦盛の命を助けるために彼の身代わりとして我が子を自ら手にかけたのです。そうするように命じたのは義経です。

 このお芝居の終盤、花道の七三で僧形の直実が剃った頭をつるりと撫でながら、
  「十六年はひと昔。夢だ、夢だ」
と語るセリフにはいつも泣かされます。当代の吉右衛門丈の当たり役です。
 歌舞伎の作者の想像力(創造力)には凄まじいものがありますね。