「弓流し」とは+景清、阿古屋
義経の亡霊が語る「弓流し」の話とは? 以下、謡の詞章から説明します(私の意訳です)。
屋島の戦いでは源氏方は陸におり、平家方は海に船を浮かべていました。そのさなか、義経は弓を取り落としてしまいます。
弓は波に流されて平家方の船に近づき、平家の武士たちは熊手でそれを引き寄せようとします。義経は騎乗のまま敵船に近づき、熊手を切り払って弓を取り戻し、陸へ引き返します。
その一部始終を見ていた義経の腹心の部下は「たとえその弓が黄金でできていようとも、あなたの命には代えられません。なんという情けないことをなさるのですか」と嘆きます。
すると、義経はこう語ります。
自分は体格が小柄で腕力も強くはない。弓も体格や力に合うものを使っている。その弓が平家の武士に取られて、「義経は小兵だ」と言われては自分の名誉にかかわる。武士の名前は末の世まで残るものなのだ。自分は弓を惜しんだのではなく、命も惜しまず、名を惜しんだのだ。
これを聞いて、当の部下ばかりかほかの人々も感動するのでした。
(このエピソードは「平家物語」巻一一に記されています。)
以下は蛇足です。
「悪七兵衛景清」の「悪」というのは、悪いという意味ではなく、強いという意味です。
歌舞伎と文楽で人気の演目「阿古屋」のヒロイン、阿古屋は五条坂の遊郭の傾城(けいせい。格の高い遊女)で、景清の恋人でした。
平家没落後も景清は生き残り、姿をくらまします。源氏方は阿古屋を捕え、景清の行方を知っているはずだと追及します。阿古屋は知らないと突っぱねます。
力づくの拷問にかけようとする人物を遮って粋な「拷問」に当たったのが畠山重忠という人間味溢れる武士です。阿古屋に琴、三味線、胡弓の3種類の楽器を次々に演奏させ、音色に乱れがあれば嘘をついている証拠だと、演奏に耳を傾けます(位の高い遊女は諸芸に秀でているので、これらの楽器の演奏はお手のものなのです)。
阿古屋は景清への思いを込めて楽器を演奏し、一切乱れを見せなかったことから、重忠は阿古屋を無罪放免するというお話です。
この阿古屋、とんでもない重量の傾城の扮装で演技をしながら3つの楽器(とりわけ胡弓が難しいそうです)を弾きこなさなければならないところから、歌舞伎では屈指の難役とされ、かつては六代目中村歌右衛門、その後は歌右衛門から教えを受けた坂東玉三郎、それぞれの時代にただ一人の女方が演じてきたのです。
ごく最近、玉三郎が二人の若手俳優(中村梅枝と中村児太郎)にこの役を伝授したことが話題になっていました。
文楽では桐竹勘十郎さんが阿古屋の人形を遣っています。この人形はほかの人形と違い、手の指が関節ごとに動くように作られています。実際には楽器は床で演奏されるのですが、まるで人形が楽器を奏でているようなリアルな動きをするところが圧巻です。勘十郎さんと左遣いの息がぴったり合っていて、両手が滑らかに動きます。何度見ても素晴らしい舞台です。
床の演奏は、阿古屋がそのとき使う楽器をソロで演奏するのではなく、三味線が2台つきます。琴、三味線、胡弓をそれぞれ一つだけ奏でたのでは演劇の効果としては弱過ぎるからでしょう。
三味線2台の迫力ある演奏によって、この場面は盛り上がり、阿古屋の気持ちを表現する音色と相まって深い感動を残してくれます。