冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

有斐斎弘道館で謡のお稽古

 去年に引き続き、今年も京都の有斐斎弘道館で謡を習い始めました。月1回、日曜日の夜7時から1時間のクラスです。

 講師は林宗一郎さん。観世流シテ方能楽師の家柄、林家の若きご当主です。舞台で拝見するとほっそりして見えるのですが、間近で接すると引き締まった筋肉がしっかりついていることがわかります。そうでなければ能楽師の仕事は務まらないのでしょう。昨年は「国栖(くず)」の一部を習いました。今年は「三井寺(みいでら)」。世阿弥作の狂女物です。

 なぜわざわざ京都まで習いに行くかというと、私のニーズにぴったりの内容だからです。まず、気楽に学べること。20人ほどの生徒がいっときに教えてもらう形式です。申し込みは1回ごとにすればよく、出欠をとるというようなこともしません。林先生自身が「覚えるに越したことはありませんが、それよりも謡の美しさを味わっていただくことを目的にしています」とおっしゃっていて、「覚えなければ」という切羽詰まった気持ちにならないですむのもありがたい。義太夫を習っていて、毎年、ほんの6〜7分の語りを覚えるのに四苦八苦しているのに、そのうえ謡まで覚えるなんてとてもできそうにないからです。

 謡のさまざまな約束事について知りたい。声を出してうたってみたい。その気持ちは強いものの、「覚えたい」とまでは思っていない私。どこの能楽堂でも、またたいていのカルチャーセンターでも、謡の教室は開かれていますが、どれも覚えることを目標にしていて、私の希望には合わないのです。

 3月のお稽古では、先生がこんな話をされました。

 ・英語などの多くの言語が子音中心にできているのに対して、日本語は母音が中心の言葉です。謡は母音でうたいます。母音を大切にすることを心がけてください。

 ・日頃から、ゆっくり話すようにしましょう。ゆっくり話すようになれば、ものごとをじっくり考えるようになるはずです。今はそのことがひどく軽んじられている気がします。

 ・西洋の音楽ではのどで作った声を上へ上げて頭に響かせます。謡では声をおなかのほうへ下ろします。天に響かせる声と地に響かせる声の違いです。日本人は農耕民族なので、声を地に響かせるようになったのだろうと思います。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た後、テレビでクイーンのコンサートの録画を放送していたので見ましたら、フレディ・マーキュリーは声をおなかに落としていました。あちらのボーカリストには珍しい例です。

 奥深いお話が次々と飛び出すので、興味しんしんで聞き入りました。