冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「はじめての俳句」講座第2回に参加しました

 月1回の「はじめての俳句」講座、第2回です。
 「晩秋の季語を学び、名句を読み味わいましょう」と、講師の先生がレジュメにあげた句は7つ。

 季語 秋の暮
  此道や行人なしに秋の暮  松尾芭蕉
 季語 行秋
  行く秋や水の中にも風の音  正岡子規
 季語 秋深し
  秋深き隣は何をする人ぞ  松尾芭蕉
 季語 身に入む(しむ)
  歯にも衣着せよ身に入む頃なれば  利根川
 季語 火恋し
  火恋し僧に会釈の長廊下  中田みなみ

などでした。

 このうち、芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」は私でも知っている、有名な句です。
 この句を味わうために、先生は若い頃の芭蕉について、お話をしてくださいました。

 芭蕉伊賀上野、藤堂藩の下級武士の家に生まれました。
 子どもの頃に、藩の若様の相手役に抜擢されます。若様とは気が合い、一緒に遊んだり学んだり。教養を積みました。
 ところがこの若様が早逝してしまいます。
 そうなると藩内の力関係で芭蕉は排斥され、居場所を失います。

 芭蕉は故郷を離れて江戸に移り住みます。新規まき直し、やり直そう、という気概に溢れていたことでしょう。
 芭蕉は土木関係の仕事に就きます。今で言えば役所の土木課のような、公的な性格の仕事だったそうです。
 私生活では、ある女性と内縁関係を持ちます。また、国許から甥が江戸へ出てきたので、面倒を見てやります。

 そうするうちに、内縁の妻と甥が恋愛をしてしまうのです。
 道を外した恋は厳しく糾弾される時代。公的な性格の職業に就きながら身内から不埒な人間を出してしまったことで芭蕉は職を捨て、当時は草深い田舎だった深川に逼塞しました。
 こうして、若いうちに二度の挫折を経験したところから、江戸に居つかず旅を繰り返す生き方を始めることになるのです。
 当時、旅は危険に満ちており、生きて帰れる保証などなかったのでした。漂泊の日々に自分の生きる道を見出した芭蕉。その思いは、「此道や行人なしに秋の暮」の句からも読み取ることができます。

 私は今まで芭蕉のこのような体験を知りませんでした。若いうちから世捨て人のようになってしまったとは!
 旅に明け暮れ、自宅にはたまにしか戻らなかったからこその「隣は何をする人ぞ」なのだと、初めてわかりました。
 現代にそのまま通じる句でもあります。

 *「その2」へ続きます。