冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「松山天狗」を見ました

 土曜日に大阪の大槻能楽堂で「松山天狗」という曲を見ました。
 この題からは想像しにくいですが、流罪になりその地で没した崇徳院の御陵を西行法師が訪ね、歌を捧げて弔う、というお話です。

  お約束どおり老人が現れて御陵へと案内した後、墓の中に消え、夜になって崇徳院の霊が現れます。初めは西行の歌を喜び、舞を見せますが、都での出来事を思い出すうちに激しい怒りにとらわれます。霊峰から天狗が降りてきて(首領と、子分が二人)、崇徳院を奉って空へと消えていきます。

 作者は不明。場所は讃岐の国、松山。今の香川県坂出市のあたりだそうです。季節は前場が、ある春の日の午後。後場はその日の夕刻〜夜半です。

 入り口で配られた資料に前もって目を通しておいたので、あらすじは頭に入っていました。シテが崇徳院だという時点で、「怨霊」「怖い」というイメージが先行し、お調べにも今までにない不気味さを感じてしまいました。

 でも、実際には後場でも恐ろしさはあまり感じられず、最大音量で奏でられるお囃子、お囃子に乗った動きに勇壮さを覚えました。見て美しいことに眼目が置かれているのだと思いました。

 資料には後シテの装束を「緋大口、黒直衣」と記してありましたが、大口(袴)は緋色ではなく明るいベージュでした。緋色と黒という激しいコントラストの取り合わせでなくベージュと黒というすっきりした組み合わせが選ばれているところに、西行によって慰められた崇徳院の心が反映されているような気がしました。

 シテは梅若玄祥さん。知名度抜群の能楽師なのに、客席は案外すいていました。お客は「誰が演じるか」だけではなく「どの曲を上演するか」にも重点を置いて公演を選ぶのでしょう。

 ワキ(西行法師)は福王和幸さん。この方を見るのは久しぶりです。長身で、超のつくイケメンです。ワキとしてよくお見かけする福王茂十郎さんのご長男。和幸さんの追っかけをテーマにしているブログもあるほどの人気者です。
 和幸さんが橋掛かりを歩く姿は風情たっぷりで、惚れ惚れするくらいきれいでした。

 この曲は金剛流のみ現行曲として扱っていましたが、観世流では長らく途絶えていました。平成6年に大槻文蔵、梅若玄祥観世銕之丞の3人によって復曲されました。

 西行

    よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は 何にかはせん

 (かつて立派な玉座に座られていたあなたも、このようなお姿になった今では何になりましょうか。何にもなりません。ただあなたの成仏を祈るだけです。)

 という和歌を基にして作られたそうです。曲中、ワキが崇徳院の御陵でこの歌を詠みます。これに感じ入って後シテが現れるという趣向です。
 和歌の持つ力、言霊のパワーが信じられていた証でしょうね。