冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「江口」を見ました

 16日(土)、大槻能楽堂で能「江口」を見ました。

 法円坂の交差点から上町通りに入ると、もみじ並木の紅葉が見事です。

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 12月も半ばだというのに、まだ紅葉が見られるのは不思議な気がしました。

 「江口」のあらすじを、当日配られた資料から紹介します。

 摂津天王寺への旅の途中、僧の一行(ワキ・ワキツレ)が江口の里を訪れる。里の者からここは「遊女・江口の君の旧跡」と聞き、昔、西行が宿を貸してくれなかった遊女に向けた歌「世の中を厭うまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」を口ずさむ。すると、一人の女(シテ・里女)が現れる。

 「どうして西行の歌だけを詠んで、江口の君の返歌を口ずさまないのか」と里女は僧を咎める。僧と女の交わす言葉の中で、宿を断った江口の君は「僧だというなら、仮の宿に執着なさいますな」「この世への執着を捨てなさい」と和歌にのせたのだという故事が語られる。
 やがて女は、「実は私は江口の君の幽霊」と明かして消え失せる。

   中入

 間狂言が、書写山性空上人が「生身の普賢菩薩を拝みたいと願ったところ、江口の長に会うよう夢のお告げを受けた。そして、江口の遊女が普賢菩薩へ姿を変じたこと」を語る。(『十訓抄』)

 夜になり、僧たちが江口の君を弔っていると、月の澄み渡る川水に、江口の君(後シテ)と侍女たち(ツレ)が川舟に乗り、「遊女の川逍遥」の姿を現わす。
 江口の君は「紅花の春の朝」「朝の霜」と移ろう季節のさま、閨房の睦言、仏法を説きつつ舞を舞う(序の舞)。

 やがて遊女たちが乗っていた舟は白い象に変化し、普賢菩薩に変化した江口の君を乗せ、白雲とともに西の空へ消えていくのだった。


 長くなってしまいましたので、演者、感想については記事を改めます。