冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「盛久」を見ました

 

 久しぶりに大阪の大槻能楽堂に足を運び、能「盛久」を見て来ました。
 受付で配られた資料から、あらすじを紹介します(一部、省略したり書き換えたりしています)。

 壇ノ浦の合戦後、源氏方の土屋三郎に捕縛された平盛久は、都から鎌倉へ護送される。日頃より篤く信仰する清水の観音で別れの参拝をさせてもらった後、花盛りの都に名残を惜しみつつ輿(こし)に乗せられて東海道を下っていく(桂注:この部分が「東下り」。名所を辿っていく詞章がとても美しく、盛久の心情が表現されます)。

 鎌倉に着き、いよいよ明日、処刑と知らされた盛久は、それまでの時間、「観音経」を読誦し、土屋も聴聞する。王命に背いて処刑されようとしても、観音菩薩を信じて念ずれば、その者を斬ろうとする剣はきれぎれに折れてしまう、という観音菩薩の霊験を聞き、土屋は盛久の命運に期待を抱く。
 盛久自身はもとより死の覚悟を決めていたが、まどろむ間に不思議な夢をみる。

 明け方、由比ヶ浜の刑場へ引き出された盛久は清水寺の方角へ向かい、観音の御名を唱える。
 処刑人が刀を振り上げたその時、経巻から光が出て目がくらみ、取り落とした刀は二つに折れてきれぎれになっていた。「観音経」の経文どおりの奇蹟が起きたのだった。

 頼朝の前に召された盛久が、清水の老僧が身代わりを申し出た夢の話をすると、頼朝も同じ夢を見たと言う。盛久は赦され、頼朝の所望に応えて喜びの舞を舞う。

・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 主な出演者は次のとおりです。
  シテ(盛久)    野村四郎
  ワキ(土屋三郎)   福王茂十郎

  大鼓   白坂保行
  小鼓   曽和鼓堂
  笛     杉 市和

 簡単にまとめれば、観音を篤く信仰していた武士が、観音菩薩の霊験によって死刑になるその瞬間に救われるというお話。その信仰の内容に共感するわけではないのですが、盛久のひたむきな心が終始伝わって来て、何も違和感を覚えず、心地よく最後まで見ることができました。

 シテは生きている人物なので直面(ひためん。面をつけないこと)なのですが、野村四郎さんは高齢で味わいのあるお顔をなさっているので、ぴったりでした。
 囃子方のボリュームがちょうど良く、シテの謡と地謡の両方がよく聞き取れ、意味がわかりました。盛久が見ているものがイメージできたことが、何よりよかったです。
 始まってすぐからこの曲の世界に入って行くことができ、盛久と一緒に東下りの旅をし、死の直前から生へと生還する展開を共に経験したような気持ちになれました。

 作者は世阿弥の長男、元雅。この人は30代半ばで亡くなっています。時の将軍、足利義教に暗殺されたと言われています。
 元雅自身には自分が若くして死を迎えることを予感していたような節があり、彼の残した作品には死の影がつきまとっています。
 「隅田川」「弱法師(よろぼし)」「歌占」「吉野山」のほか、「朝長」「維盛」「経盛」も元雅の作品だろうと言われています。

 「隅田川」はとても有名な作品ですが、私はいまだに見る勇気が持てません。我が子が誘拐され、やっと手がかりがつかめたと思ったらすでに病死していたなんていう話、母も子もかわいそう過ぎて、とても見ていられない気がするのです。
 「弱法師」と「朝長」はぜひ一度鑑賞したいと思っています。