須磨の史跡を訪ねて7km
11日(日)は「平清盛生誕900年記念〜こうべ健康ウォーク」という催しに参加しました。須磨の史跡を訪ねて歩くものです。距離は7kmと少なめで、物足りないかな? と思いながらも参加したのは、立ち寄るスポットに興味を引かれたからです。
「JRふれあいハイキング」の一つですが主催者はNPO法人須磨歴史倶楽部という地元の歴史を研究しているグループ。須磨観光協会共催で、須磨区役所が協力していました。
9時半にJR鷹取駅に集合。参加者の人数が少ないなと思ったら、須磨区役所まで歩き、ここでたくさんの人が合流しました。
主催者の挨拶と説明のほか、区長さんも挨拶。25人ずつ4つの班に分かれて、間隔を開けながら出発します。
今回良かったのは、主催者から各スポットや道筋できちんと説明をしてもらえたことです。しかも、奈良時代に遡るような詳しいお話をたっぷり聞くことができました。
須磨歴史倶楽部の皆さんは高齢の男性ばかりでしたが体も頭も元気いっぱい。日頃から須磨近辺を歩いたり、さまざまな文献や古地図を調べたりしているようです。
コースは妙法寺川沿いの道から山手に歩き、勝福寺へ。988年の創建です。清盛が寄進した密教の宝具、花瓶(けびょう)、火舎(かしゃ)、六器(ろっき)は重要文化財で、現在は大阪市立美術館に収蔵されています。この日は火舎のレプリカが本堂の入り口に展示されていました。近辺は閑静な住宅街で心地良く歩けました。
南西へ歩き、天井川、離宮道、そして松風村雨堂です。能の「松風」を見て感動したことがあるので、一度訪れてみたいと思っていました。
9世紀の中頃、恋人だった在原行平を偲んで松風・村雨姉妹が住んだと言われる観音堂の跡です。行平が都に帰るとき、二人に残したとされる歌「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」を彫った歌碑。古今集にあり、百人一首でもおなじみです。逆光になってしまいました。
行平は天皇の悪口を言って須磨へ流罪になったとされていますが、それは虚構で、実際には在原氏が芦屋に領地を持っていたので静養に来たのではないかとのお話でした。
行平が衣を残した衣掛の松跡。この松は3代目だそうで、しかも雷でも落ちたのか、地上1mのあたりで折れています。
松風・村雨は元々は「もしほ」「こふじ」という名前だったのだそうです。
重衡捕らわれの松跡。
平重衡は南都の寺々を焼き討ちにした人物。1174年、鎌倉方に捕らえられ、鎌倉に送られたのち、南都側の強い要求で奈良へ移送されることになりましたが、途中で処刑されました。南都側に引き渡したのではどんな残酷な目に合わせるかもしれないとの危惧があったのだそうです。
頼政薬師(浄福寺)。須磨寺の末寺で、源三位頼政が再興したお寺です。能の「頼政」を見たので、ここにも関心がありました。阪神淡路大震災で倒壊し、その後再建された建物には風趣は感じられませんでした。
義太夫の合宿で何度か来ました。境内が広々としています。元はもっと広大な領地を持っていたのだそう。その多くがいまでは住宅地になっています。
本堂は重要文化財。
三重塔もそびえています。
敦盛首塚、敦盛の青葉の笛(本来は「さえだの笛」という名前だとのこと)など史跡や宝物が多数あります。
与謝蕪村の句碑。
芭蕉も訪れているのだそうです。
JR須磨駅に近い現光寺がゴールです。芭蕉の句碑が建っていました。
ゴールでは生地のしっかりした白いタオルをもらいました。「須磨歴史倶楽部」の名前が入っています。参加費無料のイベントなのに、驚きました。
好天で、コースは概ね静かな道を歩くので快適。詳しく説明をしてもらえるのが何より面白く、楽しめました。