摂津峡から阿武山、新池ハニワ工場公園へ10km
この前の日曜日、JRハイキングに行きました。「摂津峡公園〜阿武山登山・古墳巡りコース」というものです。
JR高槻駅に9時40分に集合。摂津峡に近い市バス塚脇バス停までバスで移動します。主催者が貸切バスを1台、予約してくださっていたのですが、参加者が多くて乗り切れず、残り半分は路線バス(市バス)で行くことに。
それはいいのですが、バスが出るのは10時35分。その間、吹きさらしのバス停で立ったままだったのがちょっと辛かったです。
摂津峡では、初めはひたすら階段を登りました。キャンプ場のそばを通り、スカイラインコースの一部を歩きます。前にも来たことがありますが、適度に傾斜があって歩きがいのある道でした。
公園の外に出てしばらく舗装道を歩き、関大前を過ぎて、関西電力の北大阪変電所の前から阿武山に入って行きます。
倒木があちこちに見られますが、歩けるように片付けられています。
スタッフの方の話では、地元のボランティアが何日もかけて作業をしたのだそうです。前に、大文字山の倒木のことを書いたとき、市役所の職員さんが片付けてくださったのかも、と記しましたが、あちらもボランティアの方々の尽力だったのかもしれません。
12時20分、山頂に到着。この像は何なんでしょう?
眺望の素晴らしい道を歩いて、
阿武山古墳へ。この向こうが古墳らしいのですが、よくわかりません。
ここから60歳前後の男性の遺骨が発掘されました。漆の棺、ガラス玉を編んで作った枕、錦の衣、金糸の冠などから非常に高い身分の人物とわかり、藤原鎌足ではないかと言われています。
1時間くらい歩いて新池ハニワ工場公園に着き、やっとお昼休憩です。1時40分になっていました。
ご飯を食べた後、公園内を歩いてみました。埴輪のレプリカ。
450年ごろ、この場所にあった埴輪工場で作られたものなんだそうです。前に訪れた今城塚古墳から出土した山ほどの埴輪もこちらの工場で作られたものだとか。被葬者の権威を表すため、古墳に1万個もの埴輪を埋めることが必要だったのだと、説明板に書いてありました。
この植え込みが登り窯の跡です。
登り窯を再現したものもありました。
30分の休憩の後、郊外の住宅地を歩いて太田茶臼山古墳へ。フェンスで囲ってあり、中には入れません。
巨大な前方後円墳で、宮内庁が管理。宮内庁は今城塚古墳ではなくこちらを継体天皇の墓としています。
しかし、築かれた年代が継体天皇のみまかった年と一致しないので、やはり今城塚古墳が継体天皇の陵墓なのでは? とする説が有力だそうです。
4時前、JR摂津富田駅で解散しました。
肌寒く、ときどき小雨がぱらつくというあいにくのお天気。上り坂を歩いているときは体が温まりましたが、それ以外は冷えてしまいました。そろそろ暖かくなってほしいなと、春を待ちのぞむ気持ちがわいてきました。