冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

義太夫と能で「小鍛冶」(大槻能楽堂)つづき

 義太夫「小鍛冶」です。

 照明が暗いので、これでは床本(ゆかほん)が読めないのでは? といぶかっていると、舞台上だけ照明がつきました。常よりはやや暗めです。 目付柱に向かって細長く台が置かれ、緋毛氈が敷かれて床の体裁が整っています。向かって左に太夫が3人、右に三味線弾きさんが3人、座りました。太夫は右から順に豊竹呂太夫、豊竹希(のぞみ)太夫、豊竹亘(わたる)太夫。後のお二人は呂太夫のお弟子さんです。

 三味線は左から順に鶴澤清友、鶴澤友之助、鶴澤燕二郎。燕二郎さんは途中、胡弓も演奏しました。

 初めの語りは謡そっくりです。同じ音程(邦楽ではこの用語は使いませんが)のまま、語を連ねる部分もあり、謡の特徴を取り入れていることがうかがえます。ふだん聴く義太夫とはずいぶん違っていて、そこが面白い。

 希太夫が刀鍛冶の三条宗近、呂太夫が稲荷明神、亘太夫は勅使の橘道成という役柄でした。希さんの語る部分が分量としては一番多い。やや硬質の声。楷書を思わせるようなきちんとした、それでいて大きさも感じられる語りです。師匠の語りには稲荷明神の品格が表れて、全体を引き締めます。高音も低音もよく出る方で、声が心地よく耳に届きます。3人で語る場面は息が合っていました。

 三味線は能楽堂の音響効果ゆえか、文楽劇場で聞くよりも力強く深い音色に聞こえました。中でも友之助さんがソロで弾くところは曲節がダイナミックで聞き応え十分でした。

 内容は能の「小鍛冶」とほぼ同じですが、刀にまつわる古今東西のウンチク話の部分は省かれています。その分、短くなって、わかりやすい。以下、当日配られた資料から引用します。

 木村富子・作詞、初代鶴澤道八(義太夫節三味線方)・作曲で、歌舞伎舞踊として二代目市川猿之助(初代猿翁)が1939年、東京・明治座において初演。文楽では、これを取り入れて昭和16(1941)年、四ツ橋文楽座で初演した。普通の義太夫節とは息の使い方が違うが謡そのものでもないという「能がかり」の演目になる。

 とのこと。文楽劇場でも何度か上演されているらしいのですが、私は初めて聞いて、ワクワクするような楽しさを感じました。演奏が終わると、客席から驚くほど大きな拍手が起こり、演者がみんな退場するまで続きました。若い女性にも受けたみたいです。