冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「石橋(しゃっきょう)」を見ました(大槻能楽堂)

 

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あらすじ(the能.comのサイトよりお借りしました)

中国・インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師[大江定基]は、中国の清涼山(しょうりょうぜん)[現在の中国山西省]にある石橋付近に着きます。そこにひとりの樵の少年が現れ、寂昭法師と言葉を交わし、橋の向こうは文殊菩薩の浄土であること、この橋は狭く長く、深い谷に掛かり、人の容易に渡れるものではないこと[仏道修行の困難を示唆]などを教えます。そして、ここで待てば奇瑞を見るだろうと告げ、姿を消します。

寂昭法師が待っていると、やがて、橋の向こうから文殊の使いである獅子が現われます。香り高く咲き誇る牡丹の花に戯れ、獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・

 2月6日(土)、大槻能楽堂で開かれた「大槻同門会能」のプログラムの最後でこの曲を楽しみました。今回は「大獅子」という小書が付いていたので、前シテの「樵(きこり)の少年」は老人に代わり、前場のあと、アイ狂言を挟まず後場に続きます。後シテは白獅子と赤獅子の二人です。つまり連獅子! 獅子が一人だけの時は赤獅子だそうです。

 歌舞伎舞踊の「石橋物」「獅子物」と呼ばれるジャンル(両者は厳密には違うらしいのですが、詳しいことはよく知りません)は「連獅子」のほか「相生獅子」「英(はなふさ)執着獅子」「春興鏡獅子」など見たことがあり、大好きなジャンルでした。そのオリジナルが能の「石橋」だということは以前から知っていましたが、これまで拝見する機会に恵まれず、この日やっと見ることができました。今回は「新型コロナウイルス終息祈念」と題された公演でしたから、この勇壮で華麗で寿ぎの気分に溢れた曲が選ばれたのでしょう。

  後場で獅子が登場する場面ではまず独特の鋭いお囃子が演奏され、期待感が高まります。白頭(しろがしら)をかぶった獅子、続いて赤頭をかぶった獅子が現れます。獅子は文殊菩薩の霊獣です。白頭は老成していることを表します。赤頭は神通力を持った存在であることを表しますが、ここでは後で見るように、白頭より若いということが示されていました。金銀をふんだんに使った装束の華麗さに目を奪われました。 

 白獅子は威厳があり、はじめは比較的ゆったりとした動きを見せます。赤獅子は動きが速くて俊敏です。一回転?一回転半?してぴたっと着地する所作を何度も見せます。白獅子も次第に興に乗るかのように、豪快な舞を繰り広げます。

 お囃子も激しく盛り上がっていき、見ていて気分が高揚しました。

 豪壮華麗な獅子の舞を見、大きく鳴り響く演奏を聴いて、すっきりと邪気を払っていただいた気がしました。

主な演者は次の方々です。

 シテ 赤松禎友  シテツレ 山田薫

 ワキ 喜多雅人

 大鼓 山本哲也  小鼓 成田達志

 太鼓 中田弘美  笛  斉藤 敦

 後見 齊藤信隆、大槻文藏

 

 歌舞伎舞踊の「連獅子」にも少し触れておきましょう。『日本舞踊ハンドブック』(藤田洋著、三省堂)によると、文久元年(1861)に、河竹黙阿弥作詞、二代目杵屋勝三郎作曲で作られました。現在のような「松羽目物」(能舞台を模した舞台装置で演じる形式)になったのは明治34年(1901)からだそうです。

 前場では狂言師右近と左近の親子が登場し、手に小さい獅子を持って踊ります。見せ場は親が子を敢えて崖から突き落とし、谷底(花道)へ落ちた子がしばらくして崖を駆け上り、親子が再会するという下りです。

 後場では二人は獅子の扮装に着替えて現れます。顔に隈取りを施し、親は白い毛、子は赤い毛を被っています。能の被り物よりずっと長くふさふさしています。衣装は能の装束をまねた豪華なものです。

 見せどころは二人が毛を床に叩きつけたり(菖蒲打ち)、大きくリズミカルに回す(巴、逆巴)場面。二人の息がぴったり合っていないと見ていられません。親子や兄弟で演じられるケースが多いのもそのためでしょう。中村勘三郎が元気だった頃、勘三郎が親獅子、勘九郎七之助が子獅子を演じる三人連獅子を披露していたのが記憶に新しいです。

 クライマックスで長唄が「獅子団乱旋(とらでん)の舞楽のみぎん」とうたうのが印象に残って、あれはどういう意味だろうと長年不思議に思っていました。今回、能の「石橋」を見て、あの詞章は能から取ったこと、「獅子」も「団乱旋」も舞楽の曲の名前だということがわかりました。最後は「獅子の座にこそ直りけれ」で決まるのですが、この言葉も能の「石橋」そのままでした。

 前半で親が子に課す厳しい試練、それを乗り越えて親の元に戻る子の健気さ、親子の情愛を打ち出し、後半では豪快で速い毛振りを見せるところが歌舞伎のオリジナルです。

 同じ古典芸能でも能と歌舞伎は質が違います。能には神事の性質があり、歌舞伎は娯楽だと私は思っています。歌舞伎の「連獅子」は能の「石橋」を巧みに取り入れ、出来の良いエンターテインメントに仕上げているなあと感心します。

 

能「石橋」の動画を見つけました。

youtu.be

 

浅草寺特設舞台で上演された中村勘九郎七之助兄弟の歌舞伎舞踊「連獅子」。ダイジェスト版です。

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