冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

俊徳丸伝説

 「弱法師」に出てくる「俊徳丸」という人物は古い説話の主人公です。ウィキペディアには、

 河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。
 この題材をもとに謡曲の「弱法師」、説経節「しんとく丸」、人形浄瑠璃や歌舞伎の「摂州合邦辻」などが生まれた。

 と記されています。

 「弱法師」(世阿弥自筆本)では、終わりのほうで通俊がシテに名前を尋ね、シテが「俊徳丸」と答えます。ここで私は「ああ、この曲は俊徳丸の話だったんだ」と思いました。そして、ここまで俊徳丸の名前を伏せていたところに作者の意図を感じました。
 でも、昔の観客は冒頭、通俊が「子どもがいたが、ある人の讒言で追放した」と語るくだりで「俊徳丸の話だ」と気づいたのかもしれません。

 蜷川幸雄が演出した藤原竜也のデビュー作「身毒丸」は、寺山修司が岸田理生とともに俊徳丸伝説をもとにして脚本を書いたものです。寺山が主宰する「天井桟敷」で上演されていました。
 95年に蜷川幸雄がこの作品を初演出。このとき主人公を演じたのは武田真治で、共演は白石加代子でした。
 2年後にオーディションが行われ、演劇経験のない藤原竜也が抜擢されました(白石加代子は続投)。この舞台がロンドン公演(当時、藤原竜也は15歳)で絶賛され、98年に日本でも上演されたのでした。
 
 人形浄瑠璃と歌舞伎の「摂州合邦辻」の主人公は俊徳丸の継母、玉手御前です。若くて美貌のこの女性は継子の俊徳丸に恋をした上に、許嫁から奪うために毒を飲ませて失明させ、らい病(ハンセン病)にします。
 玉手御前が俊徳丸を陥れた本当の理由は別にありました。衝撃の真相がクライマックスで明かされます。俊徳丸伝説からよくこんなストーリーを創り出したものだと感心してしまいます。
 玉手御前は、文楽でも歌舞伎でも、ほかの作品には見られない強固な意思と行動力の持ち主で、とても魅力的です。


 大阪府の八尾市には今も高安という地域が見られ、隣の東大阪市には俊徳町という町名が残っています。近鉄電車には高安、俊徳道という名前の駅があります。
 関西に住んでいると、古典の作品の中で知っている地名と出会うことが多いのがうれしいです。