冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「道成寺」ほか(「第五回記念 杉信の会」、京都観世会館)…その4

 こんな調子で演目を順番に紹介していたのではなかなか「道成寺」にたどり着かないので、3番目の「猩々乱」から6番目の「鷺」までは省略します。どれも「すごいものを見せてもらった」「聴かせてもらった」と感動の残るものばかりでした。

 ただ、「末広かり」(末広がり、つまり扇のことです)で果報者を演じた茂山七五三(しめ)さん(先ごろ人間国宝に認定されました)と「鷺」で笛を吹いた杉市和さん(杉信さんのお父さん)のお二人が、なぜか元気がないように見えて、体調が良くないのかなと気になりました。

 というわけで、やっと「道成寺」です。

 「道成寺」はたくさんある能の曲の中でも扱いの重い作品で、若手の能楽師さんが「道成寺」のように能楽師修行の節目になる曲を演じることを「披く(ひらく)」と言います。一人前の能楽師になるための関門のようなものなのです。シテ方に限らず、囃子方能楽師さんの場合でもこう言うみたいです。この日のシテ、片山九郎右衛門さんはベテランなので、数えきれないほど演じてきておられるのでしょう。杉信さんはというと、「道成寺」の笛は35回目だそうです。

 あらすじを当日配られたパンフレットからお借りします。

 紀州道成寺では、春爛漫のある日、再興した釣り鐘の供養が行われていました。従僧(ワキ)は訳あって女性が来ても通してはならぬとお触れを出しますが、白拍子(前シテ)が鐘の供養に舞を舞わせてほしいと能力(アイ)に頼みこみ供養の場に入り込みます。白拍子は独特の拍子を踏み、舞いながら鐘に近づき、ついに鐘を落としてその中に入ってしまいます。

 事の次第を聞いた従僧は道成寺にまつわる恐ろしい物語を語り始めます。昔、ある女から逃げてきた男を鐘の中に匿ったところ、その裏切られた女が執心のあまり蛇体と化し鐘に隠れた男を恨みの炎で鐘もろとも焼き殺してしまったというものでした。

 女の執念がいまだにあることを知った従僧たちは祈祷し鐘を引き上げますが、鐘の中から蛇体に変身した白拍子(後シテ)が現れ鐘を焼こうとします。従僧の祈祷と女の執心で激しい攻防が繰り広げられますが、最後はその炎で蛇体は我が身を焼き日高川の底深く姿を消していくのでした。

・・・・・・・・・ここまで

 「安珍清姫」という古い物語をご存知の方も多いかと思います。「道成寺」は、その後日談なのです。

 囃子方地謡の8人が座につくと、狂言方の方々が鐘を運び出し、舞台の上手寄り、やや奥に寄ったあたりに釣ります。鐘の表面は濃い紫色の布で覆われていました。能舞台の天井にはこの鐘を釣るための杭のようなものが初めから設置されています。

 鐘を吊るした縄は舞台上手の奥で鐘後見の方々が、これも柱に最初から付いている金具に通して、動かないようにセットします。鐘後見の役には後でシテの上に鐘を落とすという大役があるので、ベテランの能楽師さんたちが担います。

 あらすじに「独特の拍子」と書かれているのは「乱拍子」のことです。「道成寺」といえば乱拍子を思い浮かべるほど、特徴のある舞で、私も映像以外で見るのはこの日が初めてなので興味しんしんでした。

 乱拍子とは? the能.comのサイトによると、

能の舞事のひとつ。能「道成寺」のシテ白拍子(しらびょうし)が特殊な足遣いで舞う舞のこと。恨みの籠った鐘を目指して寺の石を一登る様子を表わしているともいわれる。裂帛(れっぱく、絹を引き裂くような鋭い悲鳴)の気合と静寂がない交ぜになった独特な譜を小鼓のみで奏し、笛があしらう。中世の芸能にあった拍子を能が取り入れたものといわれ、金春が「道成寺」、観世が「檜垣(ひがき)」、宝生が「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」、金剛が「住吉詣(すみよしもうで)」(喜多は「横笛」という)で拍子を専有していたとされるが、後に各流儀とも「道成寺」で舞うようになり現在に至っている。

 

 元は中世の芸能にあったものを能が取り入れて、今は「道成寺」だけに残っている、ということのようです。実際の様子は次の動画を見てください。

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 「乱拍子」という言葉からは激しい舞をイメージしますが、静止している時間が長く、シテの体の動きのほとんどは爪先を上げる、かがとを上げる、腰を折るなどわずかです。けれど、小鼓との掛け合いの緊張感は凄まじいほどで、一瞬も目が離せない気分になります。その時間は、当日のパンフレットによると「朝ドラ約1・5話分」なのだそうです。

 この後、今度は本当に動きの激しい「急之舞」になり、シテが鐘に飛び込む「鐘入り」に続きます。シテが鐘の真下で跳躍するのと同時に鐘後見が鐘を落とします。このタイミングが絶妙でした。ここがうまく合わないと劇的効果が下がるだけでなく、鐘は重いのでシテを演じている能楽師さんが大怪我しかねないのだそうです。

 鐘の中でシテは一人で大蛇を表す装束に替え、面を着け替えます。ワキの従僧たちの祈祷で鐘が釣り上げられ、後シテが姿を現します。

 次の動画の45秒あたりから見てください。

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 初めて見た「道成寺」はとても面白くて、興奮してしまいました。

 歌舞伎がこの作品を元にしてエンターテインメントとして味付けを加えたのが「京鹿子(きょうかのこ)娘道成寺」。白拍子が踊りながら何度も衣装を替える、豪華な舞踊です。その上、白拍子が二人になったり、

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 五人になったり。

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 華やかすぎてもう訳がわかりません。

 人形浄瑠璃文楽では「日高川入相花王(いりあいさくら)」という演目になっていますが、内容は後日談ではなくて「安珍清姫」そのものです。

 なぜこの女性は蛇に変身するのかというと、生身(なまみ)の女性のままでは社会的にも身体の面からも男性に太刀打ちできないからだ、という説明をどこかで聞きました。

 「第五回杉信の会」、最初から最後まで充実した内容で素晴らしかったです。杉信太朗さんの笛がたっぷり聴けたのが何よりでした。

 「道成寺」は、11月にもう一度、今度は大槻能楽堂で見る予定です。