冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

清治さんの三味線に涙…「卅三間堂棟木由来」

 もう終わってしまった文楽の「夏休み特別公演」。今日になって、やっと感想を書く時間と意欲ができました。

 私が見たのは第2部の「名作劇場」。演目は「卅三間堂棟木由来(さんじゅうさんげんどう むなぎのゆらい」と、「大塔宮曦鎧(おおとうのみや あさひのよろい」の二つです。どちらも見応えがあって、いつまでも記憶に残りそうな舞台でした。

 まず「卅三間堂棟木由来」から。「文楽ハンドブック」(三省堂)の記事を参考にして、あらすじを書いてみます。

 昔、紀州の山中に枝を交わして夫婦となった梛(なぎ)と柳の木がありました。梛の木は人間に生まれ変わって平太郎という男性になります。平太郎は前世の経緯を覚えていません。
 柳の精はお柳という名前の女性に扮し、二人は現世でも結ばれます。二人の間にはみどり丸という男の子が生まれ、穏やかに幸せに暮らしていました。

 ところが時の権力者、白河法皇がひどい頭痛に悩まされ、治すには京都に卅三間堂を建立しなければいけないことになります。しかも、その棟木にはお柳の木、つまり紀州の山中にある柳の古木を使わなければいけないのです。

 柳に斧が入れられるとお柳は苦しみ、息も絶え絶えに平太郎に二人の前世からの結びつき、自分が柳の精であること、その柳が今伐られようとしていて、都へ運ばれていくことを語ります。やがてお柳は姿を消します。

 山中では柳は伐られ、人足たちが「木遣音頭」を歌いながら引いていこうとするのですが、柳の木は夫や子どもとの別れを惜しんでか、少しも動きません。
 そこへ平太郎とみどり丸が駆けつけます。平太郎が「木遣音頭」を歌い、みどり丸が先導すると、柳の木は動き出し、運ばれて行くのでした。

・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 本当を言うと、白河法皇と夫婦の間には前世からの因縁があるのですが、長くなるのではしょりました。
 また今回の上演では今まで見たことのない場面が入っていました。平太郎の母が悪者に殺されるのです。「卅三間堂棟木由来」はこれまでに何度か見たことがありますが、こんな場面を見たのは初めてのような気がします。

 私にとってはこのお芝居、木遣音頭が一番の聴きどころなのです。はじめ、人足たちが1番と2番を歌い、クライマックスで平太郎が3番を歌います。木遣音頭は一種の労働歌と言うのでしょうか、民謡です。

 十数年前のことですが、当時切り場語りの一人で、まだ人間国宝にはなっておられなかった嶋太夫さんがこの場面を語られたのです。その時の木遣音頭の素晴らしかったこと! 感動して、涙が出ました。
 言葉で表現するのは難しいですが、1番、2番では民謡らしいおおらかさ、のどかさ、土地に生きる人々のたくましさなどが表現されているように思いました。嶋太夫さんは少ししわがれた渋い声の持ち主でしたので、それがますます味わいを深くしていました。

 3番は、平太郎とみどり丸のお柳への愛情と別れの悲しさがこもっている上に、何か人生や人間の切なさすら感じられ、ここで私は泣いてしまったのです。

 嶋太夫さんの引退後、津駒太夫さんの木遣を聞きましたが、どうも物足りない。そして今回は呂勢太夫さんでした。…これをやるにはまだ若過ぎるなあ、というのが正直な感想です。

 それでがっかりしたかと言うと、そうではないのです。清治さんの三味線が絶妙な演奏だったからです。
 民謡ですから、旋律はシンプルです。それを清治さんは一本の糸だけにバチを当てるという簡素な方法で弾きました。
 その響きはとても素朴なのですが、一音一音に哀切さや温もりが感じられ、音の一つひとつが宝石のように感じられました。清治さん、さすがです!
 今までは太夫の語りにばかり注目していて、三味線を誰が弾いて、どんな演奏をしていたのか、少しも覚えていませんでした。
 嶋太夫と清治さん、二人の木遣音頭の共通点は滋味でした。

 この清治さんの三味線を聴いただけで、暑い中、文楽劇場まで足を運んだ甲斐があったと思いました。
 長くなりましたので、「大塔宮曦鎧」については、記事を改めます。