冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

義太夫と能で「小鍛冶」そのまたつづき

 休憩を挟んで、能「小鍛冶」が始まりました。

 これが興奮してしまうほどの素晴らしさでした。大鼓と小鼓の最初の一打から「なんてかっこいいの!」とゾクゾク。この音の響きが、そのあとの舞台の性質を象徴していました。普段は見どころの少ないワキが、大小前(大鼓、小鼓の奏者が座っている前)でキメのポーズを取ったとき、見たことがないほどかっこよくて素敵でした。

 シテは、とりわけ後シテが魅力的でした。初め、揚幕のすぐ前で止まり、しばらくしてあとじさりで引っ込みます。次に登場すると一の松あたりの欄干に足をかけて決まります。この所作がきりっとして美しい。舞台ではどの瞬間もずっとかっこよくて、目が離せません。観世喜正さんは大柄な方なので、よけいに迫力が感じられました。

 仕事(?)を終えて退場するとき、左右の足を何度か後ろへ蹴り上げる動作を見せました。同じ動作が前シテにもあり、いかにも小狐という表現です。歌舞伎の四の切(「義経千本桜」の「河連法眼館」)で源九郎狐が狐らしい所作を数々見せますが、その中にこの動きもあったような。能は歌舞伎よりずっと先に完成された芸能なので、歌舞伎役者さんはきっと取り入れていると思います。

 謡の詞章は前もって調べておきましたがちゃんと覚えてはいなかったので、途中までずっと謡に耳を傾けて内容を聞き取ろうと努めていました。でも、だんだん言葉で何を言っているかはどうでもよくなり、舞台から伝わってくるものを受け取ることに集中しました。こういう状態になったのは1月の「羽衣」(京都観世会館)以来です。

 考えてみると、「羽衣」の後で「小鍛冶」を見たのです。たぶん「赤頭」だったと思うのですが、よく覚えていません。下調べで「宗近と稲荷明神が刀を打つ場面が見どころ」と知り、ずっとそのシーンになるのを待っていました。そうしたら、それは一番最後の場面で、しかも短い時間で終わってしまったのです。なあんだ、あっけないなあというのがその時の感想でした。

 今回はまったく違いました。「黒頭重習」だったことと、演者の皆さんの力量が優れていたこととで、めったに見られないような上質の舞台になったのでしょう。和ろうそくの明かりでほのかに照らされた幻想的な空間のもたらした効果も大きいです。

 さらに言えば、見所に詰めかけた若い女性たちが集中して見ていたことも大きな役割を果たしたように思います。観客の多くがどんな気持ちで見ているかは、必ず演者さんに伝わるものですから。