冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

義母の思い出…洋裁上手

 義母は洋裁も得意でした。私が結婚した時点でもすでに「年代物」「レトロ」と感じられたほどの古い足踏み式のミシンを大事に使って、プロさながらに洋服を作っていました。先生は、近所に住んでいた、義母より年下の奥さんです。義母のほかにも何人かがその家に習いに行っていて、洋裁をしながらおしゃべりするのも楽しかったようです。

 自分の外出用の服はすべて手作りでした。ワンピースもスーツも、採寸し型紙を作るところから始め、仮縫いをして、丁寧に仕立てていました。私もワンピースを作ってもらったことがあります。神戸の三宮の生地屋さんで一緒に選んだ布地は、淡いピンクのウールでした。

 上の子を妊娠したときは着るものに困ってしまい、マタニティ用のジャンパースカートを2着縫ってもらって重宝しました。1枚はカーキ色のコールテン地で、もう1枚はデニム。どちらも合わせやすく、汚れが目立たず、洗濯機で洗えるので実用的でした。

 さらに1枚、濃いピンク地に花柄の、とても可愛いマタニティのワンピースも作ってくれました。これを着て大きなお腹で出勤したら、街中ですれ違った男性に「かわいい〜」と言われたことがありました。布地が残っていたようで、二人目を妊娠したとき、上の娘用にお揃いのワンピースを作ってくれました。幼い娘は私とペアの愛らしい服をとても喜んで、この服を着せると家の中で飛び跳ねていました。3着のマタニティウェアはその後、職場の後輩が妊娠したときに譲りました。

 娘たちには幼い頃からずいぶんたくさんの服を作ってもらいました。質の良いウールのオーバーコート。グレーやベージュなどの落ち着いた色合いで、上品な仕上がりでした。すぐに成長して着られなくなるので、また新しく作ってくれました。スカートとジャケット、スカートとベストのアンサンブルを作ってもらったこともあります。小学校の入学式などに着せました。

 小学校の低学年から中学年にかけて、エレクトーンを習っていた頃は、発表会に着る服を作ってくれました。姉用と妹用、同じ生地を使って、デザインは少し変えてありました。どちらも上品で高級感があって、デパートの子ども服売り場に並んでいてもおかしくないような出来栄えでした。2度目の発表会の時は、下の娘のリクエストで「スカートが3段になっている服」を仕立ててくれました。水色の生地で、女の子がいかにも好きそうなデザインでした。

 義母が作ってくれた子ども服はどうしても処分する気になれず、今も大事に保管しています。孫娘が着てくれるといいのですが、オーバーコートはウール生地の重いのを嫌がって着ませんでした。今どきのコートはフリース地などでできていて、とても軽いのです。ワンピースも、今どきの流行は薄手の軽い生地でできたヒラヒラした服のようで、正統派の義母の服を着てくれるかどうかはわかりません。

 私も若い頃は洋裁が好きで、自分のワンピースや子どものスカートなど作っていましたが、我流でしたし、型紙は既成のを買っていました。ホックやファスナーは付けられるけど、ボタンホールを作るのは無理でした。ウール生地で裏地を付けて仕立てることなど難しくて思いもよらず、使う生地はいつも木綿で、一重仕立ての夏服でした。

 昨秋、義母が亡くなったとき、義弟が遺影用に選んだ写真は、義母がまだ60代前半の頃のものでした。紺色地に細かい花柄の、シックで華やかな、自分で作ったに違いないワンピース。象牙のような白いネックレスを付けています。当時は義父と二人で旅行することが何度かあったそうで、義父はその頃カメラに凝っていたので、たぶん義父が撮った写真だろうという話でした。若くてきれいで幸せそうな義母の笑顔は最高に素敵でした。葬儀に来てくれた夫の叔母(義母の義妹。80代)も私の姉(70代)も、「いい写真やねえ。遺影は若いときの写真がいいねえ」としみじみつぶやいていました。