冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

亀井広忠さん 『12人の花形伝統芸能 覚悟と情熱』(中公新書ラクレ)から

 亀井広忠さんの大鼓は何度も聴いたことがあります。とりわけ印象が強いのは「三番叟」です。「三番叟」の大鼓はこの人しか考えられないと思うほど。毎回、初めの一打から舞台の空気が変わります。

 お父さんの亀井忠雄さんは同じお仕事(能の大鼓方)で人間国宝。白髪のきれいなご老人です。忠雄さんの大鼓は、ほかの大鼓方の方々とはまったく次元が違うように感じられます。

 お母さんは歌舞伎の囃子方の田中佐太郎さん(もちろん本名ではありません)。こちらも白髪の美しい、凛とした佇まいの女性です。

 お父さんはもちろんですが、お母さんもすごい人なのです。代々歌舞伎囃子方を勤める家に生まれ、父は人間国宝。ところが男の子が生まれず、三女の佐太郎さんが父の厳しい特訓を受けて家業を継ぐことになります。佐太郎さんと亀井忠雄さんの間には3人の男の子が生まれました。長男が広忠さんでお父さんの跡を継ぎ、次男と三男はお母さんの家の仕事、歌舞伎の囃子方を継ぎました。

 3人とも、幼い頃にまず基本をしっかり教えたのはお母さんで、その後にそれぞれの師匠のもとで修行しています。佐太郎さんは歌舞伎の囃子方を育成する訓練校の講師でもあり、今までに数え切れないほどの人材を送り出しています。歌舞伎は囃子方抜きでは成立しませんから、その功績は偉大です。

 以前、NHKで子ども時代の佐太郎さんがお父さんから鼓を教えられる様子を記録した番組「鼓の家」を見て、この方のことを知りました。その後、佐太郎さんについて書かれた『鼓に生きる 歌舞伎囃子方田中佐太郎』 (氷川まりこ、田中佐太郎  淡交社、 2018年10月発行)を読んで、ますますこの女性に心を惹かれました。

 

 話を元に戻して、表題の本から、広忠さんの言葉を紹介します。

「生まれた時から家には大鼓、小鼓、太鼓が転がっていて、楽器がおもちゃだったんです。それを弟二人と奪い合いながら遊んでいました。ガンダムのプラモデルとかミニ四駆とか、我々の世代のおもちゃでも遊んでいましたよ。でも、楽器はおもちゃでもそれらとは違う、神聖な感覚もありました。」

「大鼓が囃子チームのリーダーなので、私が彼ら(ほかの囃子方)を引っ張るんです。息づかい、打ち込む間の伸び縮み、かけ声の掛け方やタイミング、声の強弱とか、そういったもので笛、小鼓、太鼓に合図していきます。」

「(三番叟は)私の中でも思い入れが強く、一番好きな曲です。…略…(野村)万作先生のお父上の六世野村万蔵師と、私の祖父、亀井俊雄が二人で三番叟の音楽と型ときっちりと当てはめて、創り上げたと言ってもいい。お家芸と言わせていただけるなら、言わせていただきたい。私の家は、野村家と一緒に三番叟を作ったという自負がある。」

「今、一番、私が勤めさせていただけているのが、万作先生のご子息、野村萬斎師の三番叟です。…略…萬斎師とやる時は、いつもガチンコなんですよ。つまりは勝負、戦いです。やるたびに、お互いにくたびれる。」

「(能狂言、歌舞伎のほかに)よく文楽も見ています。今、大好きなのは宝塚観劇ですね。…略…あの空間の全部が好きです。見た後に幸せになれます。昔から雪組が1番のひいきです。今はのぞ様(望海風斗さん)が飛び抜けて上手くて。」

「お茶、お花、能といった室町文化は非常に禅の影響があるので、自問自答とか、自分を苦しめる方向に持っていきがち。それが江戸時代の歌舞伎や文楽になると、お客様に喜びを与えるエンターテインメントになった。さらにエンターテインメントになったのが現代の宝塚やアイドルでしょう。」

 野村萬斎さんvs.亀井広忠さんの、ど迫力の三番叟。今年もお正月に見られて、眼福、耳福でした。

 広忠さんのお話をもっと読みたくなりました。