冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

新春能「翁」(大槻能楽堂) 1月4日

 何年前からか、毎年、お正月の4日には大槻能楽堂で「翁」を見ています。今年は以前も書きましたように、私の大好きな大槻文藏さんが出演されないので、残念でたまらなかったのですが、それでもやっぱり「翁」を見ないとお正月が来た気がしないのです。

 今年は次のような配役でした。

 翁 観世喜正

 三番叟(さんばそう) 野村萬斎

 面箱 野村太一郎

 千歳(せんざい) 井戸良祐

 大鼓 亀井広忠

 小鼓 頭取 曽和鼓堂 胴脇 成田達志 手先 成田 奏

 笛 竹市 学

 後見 大槻文藏、大槻裕一

 地謡 上野朝義ほか

 

 観世喜正さんの翁を拝見するのは初めて。橋がかりに歩み出た姿は文藏さんよりずっと若くて大柄です。すぐ文藏さんの翁と比べてしまって申し訳ないと思いつつ、やはり神様には見えなかった。橋がかりに現れた時からまるで神様のように見えてしまう文藏さんがすごすぎるのでしょう。本当は、翁の面を着けて初めて神様になるので、そこまでは一人の老人なのに、なぜか神様らしさを感じてしまうのです。喜正さんの場合にはそういうことはなくて、それが当たり前なのでしょうけれど、物足りなく感じてしまいました。

 翁が舞う前に千歳が露払いの舞を舞います。今年の千歳はとてもふくよかというか、体の幅が私の倍以上ありました。舞に重たさを感じたりはしなかったけど、舞い終えて定座についたとき、息が上がってなかなか整わず、体全体を動かして喘いでいるのが客席からもよくわかるのには困りました。舞台の画面全体のバランスが、そこだけ崩れてしまうからです。三番叟に比べれば運動量はずっと少ないのですから、見苦しい姿を見せないように体重管理や鍛錬をしていただきたい、と厳しいことを思ってしまいました。

 というのも、これも比べるのが無理なのかもしれないのですけれど、萬斎さんの三番叟が素晴らしかったのです。三番叟の舞は、「能」のイメージからは程遠いような激しい動きの連続です。「烏跳び」(ジャンプ)は、さすがに以前より少し低くなったような気がしましたが、しなやかな跳躍と着地の美しさにはいっそう磨きがかかったように見えました。体力の年齢はとうにピークを過ぎているでしょうに、時間の長い三番叟を舞い終えた後も、少しも息が乱れておらず、何ごともなかったかのように平静な様子で退場していくさまは見事で、圧巻でした。

 この「翁」という曲は、翁が舞う場面は時間にすれば短くて、後半、三番叟が舞う場面が何倍も長いのです。舞の雰囲気は翁が「静」で三番叟は「動」。このふたつがうまくバランスが取れているときには見終えた後に深い満足感が味わえます。今回は後半が良過ぎて、前半は物足りなく感じられました。それだけ翁を務めることは難しいんだということもよくわかりました。

 囃子方は素晴らしかったです。これも「能」の静かで厳かで…というイメージからはかけ離れた速くて激しくてリズミカルでボリュームの大きい演奏が繰り広げられます。「翁」は能のあまたある曲の中でも別格扱いになっています。能という芸能が成立したとき(室町時代)よりもっと前の、古い時代の芸能らしい。そんな時代にこれほど体が熱くなるような、現代的と言ってもいいような音楽があったなんて驚きです。

 中でも亀井広忠さんの大鼓はすごかったです。大鼓は三番叟の舞の場面で演奏します。最初の一打から、カーン! と高く強く響き渡る凄まじい音に心を奪われました。合間に発する声も高く大きくて、ほとんど別世界から届いてくるような印象でした。広忠さんの大鼓は今までにも何度も聞いていますが、「翁」にはこの人の大鼓が欠かせないと改めて思いました。

 一つ前の列の席に小学校1年生くらいの男の子が座っていて、開演前は「この子、大丈夫? おとなしくしていられるの?」と気になりました。ところが始まってみると座席から立ったまま、身動きもせず食い入るように舞台を見つめているのです。夢中になっている様子が好もしく、見ていてとてもうれしくなりました。「翁」は、子どもの方が案外すっと入っていける曲なのかもしれないです。