冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

「宗一郎 能あそび」

 京都の有斐斎弘道館で「宗一郎 能あそび」というイベントに参加してきました。林宗一郎さんは観世流能楽師で、39歳の実力派。この方がツレを務めて観世清和さんと舞った「松風」の美しさが脳裏から消えません。

 「宗一郎 能あそび」は五年前から始まったシリーズです。毎年、テーマを設定して、6回程度開かれます。以前、お囃子が取り上げられた時に参加したことがあります。ゲストが大倉源次郎さんで、実に興味深い内容でした。

 今年は能の作者を一人ずつ順に取り上げていくようです。ゲストはなし。昨日、私が参加したのは1回目で、観阿弥でした。
 宗一郎さんが観阿弥の出自、曲の特徴などをレクチャーされます。観阿弥の作品の一部を宗一郎さんの指導で参加者が声を揃えて謡ったりもしました。

 最後の30分余りを使って、宗一郎さんが観阿弥の作品「自然居士(じねんこじ)」を初めから最後まで通して謡われました。これが素晴らしかったです。
 私は今まで、能の謡には独特の抑揚があるけれど、それは型に沿ったもので、謡で感情表現がされることはないものと誤解していました。だから、詞章が聞き取れないと意味がわからず、何も理解できないという結果になってしまいがちだったのです。

 ところが宗一郎さんの謡を聞いていると、抑揚や声の調子によってシテの感情が表現されていることがたやすく理解できたのです。これには感動しました。実にわかりやすい。
 「能は難しいものではありません」とよく言われる言葉が、お題目ではなく、本当にそうなんだと納得がいきました。

 謡い終えた後の宗一郎さんのお話によると、実際に舞台で上演する時の3倍くらいの速度で謡ったのだそう。そこにもわかりやすく感じられたポイントがあったのかもしれません。
 松岡心平という研究者によると、室町時代に能が盛んに上演されていた頃、謡のスピードは現在の3倍くらいだったのだそうです。すごく速かったんですね。
 初めて観阿弥(そして世阿弥)の舞台を見た足利義満が感動して、以後、彼らの一座を贔屓にしたというのも、今の3倍のスピードだったと考えた方が、納得できる気がします。

 観阿弥の作品の特徴に、禅問答、芸尽くし、クセ舞というのがあるそうです。このうち禅問答については、「自然居士」でも自然居士と人買い商人とのやりとりの場面で行われます。人買い商人から少女を取り戻そうとする自然居士と、抵抗する商人との間に緊迫した言葉の応酬がなされるのです。

 このシーンが「禅問答」に当たるらしいです。でも、聞いていると自然居士の繰り出す言葉が機知に富んでとても面白く、漫才のような話芸のルーツを見るような思いがしました。能って、ひょっとすると、知られている以上にもっと多くの芸能の源泉だったのかもしれないなあと考えました。

 次回は4月20日(金)の夜、取り上げるのは世阿弥です。6時半〜8時という時間帯なので、帰宅が10時過ぎになってしまうのが少し困るのです。でもやっぱり興味を惹かれるので、参加するつもりです。

 帰りの地下鉄で見た光景から一句。

    桃の枝提げて電車へ会社員

 ついでに、今日読んだ句から二句。

    愛猫の昔語りや恋の夜

    二つ三つ芽吹かせて去る女神かな