冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

能「雲林院」を見ました 続き

 チラシに書かれていたあらすじを以下に転載します(表記は読みやすく変えています)。

 『伊勢物語』の愛読者・蘆屋公光(きんみつ)は、ある夜見た夢に導かれて、都・紫野の雲林院を訪れます。折しも花の盛り。心惹かれて一枝を手折る公光。すると老翁が現れ、それをとがめます。
 古歌を引いて問答した末、公光に『伊勢物語』の秘事伝授を約束し、花の蔭に寝て待つように言うと老翁は夕霞の中へと消えて行きました。

 その夜、木蔭に伏して月を眺める公光の前に現れたのは、貴人姿の在原業平。『伊勢物語』第六段の内容を語り始め、おぼろ夜に降る春雨の中を逃れた追憶のうちに夜遊(やゆう)の舞楽を舞ってみせます。
 やがて夜明けとなり、夜もすがら『伊勢物語』が語られた公光の夢は覚めるのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は前半のほとんどを気持ち良く眠ってしまいました。残念。後半はしっかり見ました。
 後シテは高貴な身分の貴族の装束です。「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」という一声から始まり、高子との逃避行の経緯や様子を語ります。桜散らしの雨が降る夜、芥川を渡り、迷いながら落ちていったこと。謡の詞章は案外短く、シテはゆったりと美しく舞い続けます。
 この季節にぴったりの夜桜、雨、川面に浮かぶ花筏が想像の世界に広がります。シテの装束に織り込まれている桜が、雨に散って衣服に張り付いたもののように見えました。

 味方玄がシテを演じる舞台を見ていつも感じるのは、この人の体を包む濃密な空気感です。まるでそこだけが別世界のように見えます。
 そこから発散されてくるもの(気、でしょうか)が極めて強いので、舞の意味がわかってもわからなくても、ただひたすらじっとシテの姿を見つめ続けてしまいます。

 シテが退場した時はホッと息をつきました。それまでは息を詰めるようにして、見入っていたのです。
 この曲は滅多に上演されない珍しい作品で、味方玄自身も初演だそうです。良いものを見させていただきました。

 この日、大津市伝統芸能会館は駅前からタクシーに乗らなくても徒歩10分ほどの距離だということがわかりました。タクシーだと740円ほどかかるのですが、車の通れない細い道があり、そこを通っていくと近道なのです。

 9月にはこの能楽堂で味方玄の「井筒」を見る予定。今から楽しみです。