冬すみれ雑記帳

山を歩いたり、お能を見たり。

松竹座七月大歌舞伎「渡海屋・大物浦」など

 久しぶりに松竹座で歌舞伎を見ました。毎年7月は「関西・歌舞伎を愛する会」の主催公演。今年はその前身の「関西で歌舞伎を育てる会」が設立されてから40周年に当たる記念の公演だそうです。

 実家の母が早い時期に「関西・歌舞伎を愛する会」の会員になり、「関西で歌舞伎を育てる会」になってからも続けていました。私と姉はそのルートでチケットを買い、いつも歌舞伎公演を見ていました。母が弱ってからは、私が母の後を継いで同じ会員番号で会員を続けました。思えば何十年も、この会にお世話になってきたのでした。

 会員になると、会費が年7000円かかる代わりに、関西で行われる歌舞伎公演のチケットを優先的に押さえてもらうことができます。おかげで、長年の間、いつもとびきり良い席で歌舞伎を見続けてきました。

 数年前、文楽に関心が集中して、歌舞伎への興味は以前に比べれば覚めてしまいました。それで、「関西・歌舞伎を愛する会」を退会しました。その後、松竹座で見たのは勘九郎七之助兄弟の「怪談乳房の榎」くらいです。

 そういうわけでお久しぶりの松竹座。見たのは初日の昼の部です。演目は「色気噺お伊勢帰り」「厳島招檜扇 日招ぎの清盛」「義経千本桜 渡海屋・大物浦」の3本でした。

 まず「色気噺お伊勢帰り」です。こんな演目は今まで見た記憶がないので、新作かもしれません。上方落語でおなじみの清やんと喜ぃ公のコンビが近所の男たちとお伊勢参りに行き、近くの妓楼で遊んで、大阪へ帰ってきます。清やんは江戸出身のいなせな二枚目(芝翫)、喜ぃ公は愚鈍な三枚目(鴈治郎)で、それぞれに女房がいます(壱太郎、扇雀)。ところが伊勢の妓楼から清やんを追いかけて美貌の遊女(梅枝)が、喜ぃ公を追いかけてコミカルな顔立ちで太った遊女(猿弥)がやってきます。

 一言で言うとドタバタ喜劇です。一途なはずの遊女が実はとんでもない悪女の本性を表すところ、梅枝が品を落とさずうまく演じていました。妓楼の女将役で秀太郎が風格を見せました。それ以外は記しておくべきことを思いつきません。初日だからか、まだセリフが入っていない(覚えていない)俳優さんが複数いて、会話のリズムが途切れがちでした。そこを笑いでごまかそうとするのですが、そううまくごまかせるものではありません。

 40周年記念のめでたい公演に、どうしてこんなくだらない演目を選んだのか、私には謎です。せっかく芝翫鴈治郎が顔を揃えたのだから、二人で滑稽味のある舞踊を見せてくれればよかったのに。そういえば今回の公演のプログラムに舞踊が見当たらないのはどういうわけなのでしょう。いつも1本は舞踊が入っていたものなのに。「関西のお客は舞踊は退屈がる。それよりは吉本ばりのドタバタ喜劇で笑わせる方がいいだろう」と判断したのでしょうか。関西の歌舞伎ファンをばかにしてるんじゃないの? と憤慨してしまいました。

 2本目は厳島招檜扇 日招ぎの清盛」です。これも初めて見ました。厳島神社で清盛(我當)が祇王(壱太郎)と仏御前(時蔵)を呼びます。二人は舞を披露し、清盛は褒美を与えます。と、そのとき、仏御前が「父の敵(かたき) 」と叫んで清盛に襲いかかり、取り押さえられます。その場で仏御前を殺そうとする家来を清盛は押しとどめ、立ち去らせます。やがて夕刻になり、日が沈み始めると、清盛は扇で太陽を招き寄せ、再びあたりは昼間のように明るくなるのでした。

 祇王・祇女と仏御前の話かと思ったら全然違っていました。清盛が仏御前の父親の敵(かたき)とは、びっくりです。それ以上に驚いたのは我當です。舞台中央の高い台の上に座ったままなのは、前から足が悪いので仕方ないとしても、声がまったく出ておらず、セリフが聞き取れないのです。しかも半分以上、セリフを覚えていないらしく、背後にいる黒衣さんに教えてもらいながら言うので、セリフとセリフの間に妙な間があきます。歌舞伎の舞台で役者さんが大道具の陰に潜んだ黒衣さんにセリフをつけてもらっているのを、何十年ぶりかで見ました。

 よくこの状態で我當を主役で出演させたものだと呆れてしまいました。高い入場料を取って見せるに値する舞台だとは到底思えません。お客は怒ってもいいくらいです。関西のお客には我當は馴染みの深い役者さんだから怒らないだろうという判断なのでしょうか。実際、観客は拍手していました。我當は歌舞伎の味が出せる良い役者さんだったのに、こんな舞台をやったのでは俳優としての歩みに汚点を残してしまったのではないかと気になります。お父さん(亡くなった十三世仁左衛門さん)が晩年、目が見えなくなって、それでも見事に味わい深い演技をしていたのとは大違いです。

 3本目。仁左衛門さん主演の義経千本桜「渡海屋・大物浦」です。これが見たくて久しぶりに松竹座に行ったのでした。長くなりましたので次の記事に書きます。